第999号『”あなた”に僕の物語を語りたい』

僕たちは、根拠の判然としない思い込みや、勘違いで人物や事物の印象を決めつけていることがしばしばある。例えば、二宮尊徳。 昔はどこの小学校にもあった二宮金次郎像。薪を背負って働きながら本を読んでいる姿。このベースとなったのは明治の文豪、幸田露伴が著した『二宮尊徳翁』(明治24年刊行)。貧しい少年時代から農村の再興、諸藩の財政改革など、二宮金治郎が地主として農園経営を行いながら小田原城下に出て成功したという逸話をもとにしたものである。そして、この本の挿絵から薪を背負った二宮金次郎像が始まったと言われている。僕自身、この像から受けたイメージで、金次郎は成人後も身体の小さな人なんだろうと勝手に思い描いていた。ところが古文書によれば、なんと身長が6尺(約180センチ強)を超え、体重は25貫(約94kg超)。江戸時代、その姿はまさしくリーダーに相応しい巨人だった。

先日、映画『銀河鉄道の父』成島出監督作品を観た。成島監督作品にはこれまでにも『八日目の蝉』『いのちの停車場』などの佳作がある。父・政次郎を演じるのは先日カンヌ映画祭でドイツの名匠ヴィム・ヴェンダース監督作品『PERFECT DAYS』にて主演男優賞を獲得した役所広司。そして息子・賢治役は菅田将暉。当代随一のベテランと若手の役者2人。この組み合わせでのやり取りが観たくて劇場に足を運んだ。

さて、本作『銀河鉄道の父』は、第158回直木賞を受賞した「銀河鉄道の父」(門井慶喜著)をベースに描かれた宮沢賢治とその妹・トシや父・政次郎らとの家族愛の物語である。「銀河鉄道の夜」をはじめ「春と修羅」「注文の多い料理店」等、いまもなお唯一無二の物語世界を読者に与え続けている宮沢賢治。その賢治は生前、まったく無名の作家だった。その遺作が知られるようになったのは、死後、息子の才能を信じ「宮沢賢治全集」を自費で出版した父(家業の質屋で岩手県花巻では有数の財力を持っていた)の尽力によるところが大きかった。こうした事実を知って(身体が小さいと思い込んでいた)二宮尊徳と同様、自分の思い込みで懐いていた(生前からある程度名の知れた作家なんだろうと思っていた)賢治のイメージとの違いに驚いた。

大正13年、賢治は詩集『春と修羅』を自費出版する。それは、朝日新聞に「溌剌たる新人」と称賛されるが、この詩集は全く売れなかった。東京での創作活動にも活路を見いだせず、故郷花巻へと戻り、創作活動からは離れ農業の普及活動などをして暮らしていた。一方、賢治のよき理解者である妹・トシは日本女子大学を卒業し、地元の女学校で教師として教壇に立っていた。そのトシが結核に罹る。トシは賢治に懇願する「お兄ちゃんのお話、聞くと元気が出るの」。もっとお兄ちゃんの物語を読み聴きたいと。ここから賢治は猛烈に書き始める。愛する妹に物語を聴かせてあげたくて。こうして、「風の又三郎」も「雨ニモマケズ」も生まれた。トシが亡くなり、茫然自失としていた賢治に父・政次郎が励ます。「こんどは俺のために書いてくれ」と。いまや、父が宮沢賢治の一番のファンになったのだ。その数年後、賢治もまた妹と同じく結核に侵され、37歳の若さで亡くなる。

父・政次郎にとって賢治の全集を刊行するのは必然であった。この全集が存在しなければ、いま僕たちは宮沢賢治という才能を知らないままだったのかもしれない。まさしく『銀河鉄道の夜』は、最高の読者でありファンである父に残した賢治(ジョバンニ)と妹・トシ(カムパネルラ)の永遠の物語なのだ。

今号でファンサイト通信は999号、そして次回は1000号。ここまで続けてこれたのは、読んでくれる人がいるから。愚にもつかないような日々の断片と、そこから感じた僕の想いを書き連ねたこの”通信”を読んでくれていることに、とても感謝している。毎号、僕は書き始める前に決めていることがある。それは、男性・女性・世間のみんな、といった抽象的な誰かを読者に想定するのではなく、今回は誰に読んでもらいたいかを考えながら書きはじめる。それは友や恩師、クライアントのご担当者だったり、亡くなった父・母・弟、妻や、子どもたちだったり、時に自分自身へだったりと時々に変わるが、顔の見える”あなた”に僕の物語を語りたいと願っている・・・宮沢賢治がそうしたように。

2件のフィードバック

  1. ご無沙汰しております!お元気でしょうか。広島に戻ってから1年半、また東京に行く機会があればと思います。次が1,000回目!感無量ですね。思わずコメント入れています。近いうちにお会いしましょう!幸さんにも、よろしくです^^

    1. 皆川さん、ありがとうございます。来週で1,000号。まだ実感がわきませんが、ここまで21年と2ヶ月。我ながらよく続けてこれたと思います。東京にお越しの折はお声掛けください。さちよもお会いしたいと言っております。

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