知人があげたFacebookのコメントに目が止まった。「人形町甘酒横丁の焼き鳥の久助、9月29日で閉店なんだ!良く昼飯食べに行ったな」。続けて、「きしめん寿々木屋も8月末で閉店してた」と。そうか、あの店もこの店も消滅か。しかも、人形町交差点角に新しく食をテーマした複合ビルも出来たらしい。そんな移り変わりを知って、なんとも寂しく、そしてちょっぴり悲しくもなった。
”界隈”という言葉には、「そのあたり一帯や付近」という意味のほかに、「限定的なコミュニティとしての関係性や範囲」という意味も含まれる。そうした意味で言えば、僕もいっとき浜町人形町界隈の住人として、このコミュニティに属していたことがあった。今回、その時の想い出を綴ってみたい。
2006年の春から2011年3月まで、浜町に仕事場があった。最寄りの駅は、都営新宿線浜町と都営浅草線・日比谷線人形町か半蔵門線水天宮前。人形町・浜町周辺は江戸時代から続く下町である。そして、この界隈には老舗や隠れた名店がことのほか多い。
打ち合わせの帰り道、人形町駅で降り、地下から地上にあがると交差点の近くに洋食の「キラク」がある。道を挟んで向かい側にはきしめんの寿々木もある。歩道を進むと焼き鳥屋の「鳥近」があり、親子丼の「玉ひで」を右手に見ながら甘酒横丁の通りに入る。通りの1本目の路地にはすき焼きの「今半」の看板が見え、すぐ近くには洋食の「芳味亭」もある。さらに横丁を往くと鯛焼きの「柳屋」、そのはす向かいに三味線の「ばち英」、そして角に居酒屋の「笹新」がある。さらに進み、清澄通りを渡り、明治座を左手に見ながら、正面の浜町公園を廻り込むようにして、公園と平行しながら進むと、和装小物の「高虎」がある。ここを抜け、新大橋のたもとにあった事務所にたどり着く。こうして、居並ぶ名店をチラリチラリと覗きながらの帰路だった。
ある日、これらのお店に共通するものがあることに気が付いた。それは、どの店も思いのほか間口が狭いということだ。
例えば「柳屋」の店頭では、鯛焼きを焼く職人が汗をかきながら、せっせっと焼いている。しかし、どんなに頑張っても作れる量はたかが知れている。したがって、食べたければ狭く細い店内から歩道にはみ出すように列に並ぶしか方法がない。さらに、6時を過ぎて「笹新」のカウンターに座れたとすれば、その人は幸運というほかない。なにしろ、5時開店にはすでに全席が埋まるほどの賑わいだ。さらに、急いでいる時は「鳥近」のある歩道側は歩かないほうがいい。居並ぶ人混みに、必ずや行く手を塞がれるからだ。
こんな魅力ある店々が、なぜ間口を広げないのか?
それは彼らが、お客様との信頼関係を守れなくなることを知っているからだ。「一介の鯛焼き屋、洋食屋、焼き鳥屋、居酒屋、和装小物屋だけれども、きちんと良い仕事をさせてもらいますよ、だからこれ以上、間口を広げたら美味しいもの、きっちりとした製品作りが守れなくなるよ」と。そんな誇りに満ちた呟きが聞こえてきそうだ。そして、もう一つ大切な理由がある。店を拡げれば、シズル感が消える。sizzleとは本来、肉や魚などを揚げている時のジュージューと音をたたている様の擬音語である。最近では、映像表現として臨場感のある「新鮮さ」「みずみずしさ」といったニュアンスを表現する言葉としても用いられることが多い。
例えば洋食屋「キラク」のカウンターに座り注文する。眼の前で繰り広げられるのは料理人の手際の良い手捌きと、ジュージューとビーフカツを揚げる音、そして旨味のある匂いが店内に充満する。例えば、鯛焼き屋の「柳屋」の列に並んでみるといい。一枚一枚丁寧に焼く職人のリズミカルな動きと、香ばしい匂いが店内から歩道にまで漂ってくる。なにも、食べ物だけではない。和装小物の「高虎」の工房からは、鼓笛隊の小太鼓を打ち鳴らすようなテンポのよいミシン掛けの音が聞こえてくる。これはすべて、間口が狭い店ゆえに出来ることである。
彼らは、味・音・匂いという目には見えないものも、その一つ一つが大切なブランドの構成要素であることを知っているのだ。自分らしさ(というブランド)を守れる人とは、出来ることを誇示するのではなく、出来ないということに拘泥する人のことではないか。
もう十数年前の浜町人形町界隈の回想である。
商品ばかりではなく、街も人々のニーズや利便性によってその姿を変えていくことは止められない。欲望の消費という乾きを癒すための野心を伴いながら、時代を前に進めるためには必要なことなのかもしれない。しかし、一方で街の佇まいや風情が失われていくことに、如何しようも無く寂しさも感じる。ああ、有情(うじょう)。