今朝、いつものように掃除をしていた。昨日とは打って変わってお天気も良かったので窓を開け、普段はスルーしてしまう棚の下や隅っこにもハタキを突っ込んでゴミやホコリを掻き出した。こうして、溜まっていた綿ぼこりと、クリップや輪ゴムなどと一緒に茶色のふわふわとした毛玉が出てきた。この毛玉は、昨年11月9日に亡くなった愛猫リリーのものと直ぐにわかった。柔らかな毛玉をそっと摘み、手のひらに載せてみた。そして、柔らかく温かいリリーを抱いたときのことを思い出した。
昨年4月頃から突然、大量に嘔吐を繰り返すようになった。以前、避妊治療をお願いした獣医さんに連絡をとり、受診した。初診では、食物アレルギーではないかとの見立ててで、餌を変え様子をみた。しかし、一向に良くならなかったため、吐き止めと栄養剤の点滴を受けた。数日は吐くこともなく過ごしていたのだが、再び嘔吐を繰り返すようになった。6月には入院してCTスキャンを撮ることになった。結果は、腸の内側と外側に大きな腫瘍が見つかった。獣医さんからは、「余命1ヶ月程度ではないか・・・」とも告げられた。やせ細り体力もなく通院も点滴の注射も辛くて、帰宅してからも、ずっとうずくまっている。その様子を見て、もう無理に通院はさせず家で見守ることにした。
7月には、これまで食べていた固形の餌はいっさい食べなくなり、水もほとんど飲まなくなった。唯一、ジェル状の餌だけは指に乗せてペロペロと舐めながら食べてくれる。体調不良だが、それでもなんとか頑張って、カレンダーは10月になり10歳となった。彼女の誕生日を一緒に過ごすことができた。
リリーは、人に抱かれることを子猫のころから嫌がった。それでも、極て稀に、抱(だ)っこされているときもあった。そんな、ツンデレで気まぐれなところが僕は好きだった。そんなときは、ギューとしたくなる。ギューと強く抱(だ)くとスルリと逃げてしまう。だから、我慢し、ふわりと抱(かか)えるようにした。強く握ったり抱(だ)いたりすればするほど、まるで、砂のように腕や指のすき間からすり抜けてしまう。大切だからこそ、あまり強く抱(だ)いたり握りしめたりしないことだ。彼女の心地よいようにふわりと抱(かか)える。要は自分勝手に捕まえようとしないことだ。
茶色のふわふわとした毛玉を手のひらに載せながら、そんな心得をリリーから学んだことを思い出した。