集合住宅の、長期修繕委員会メンバーに選ばれて2年が経つ。もちろん、あれやこれやと面倒なこともあるが、自分たちの住まいや街を俯瞰して見ることができ、普段の生活では思いもつかない10年後20年後の在りかたが垣間見えたりもする。そして、このメンバーになったことを、楽しんでいる自分がいることにも気がついた。今号ではそんな、わが街のことを話してみたい。
わが街、金沢シーサイドタウン(横浜市金沢区)は横須賀市に隣接した市の南端に位置する。50年ほど前、市の一大プロジェクトとして、遠浅の海岸を埋め立て造成した集合住宅街である。最寄りの京急富岡駅から東京駅までおよそ50分。加えて、横浜シーサイドライン(JR根岸線新杉田駅ー京急金沢八景駅)も利用できる。海が近く、緑も多い。都心に比べて夏は少し涼しく、冬は少し暖かい。余談だが明治から昭和にかけて、この地には伊藤博文・三条実美・井上馨・松方正義ら政界財界の大物や、鏑木清方・川合玉堂・直木三十五ら文化人たちの別荘も多かったという。ちなみに、伊藤博文と川合玉堂の別荘跡は現在も残っている。
1978年から入居が開始され、現在およそ9,600世帯・20,000人以上が住んでいる。しかし、ご多分に漏れず年々人口の減少傾向が続き、それに比例して高齢人口が多くなっていた。ところがコロナ禍を経て、ここ2、3年、子育て世代がじわりと増えてきている。これは、嬉しいことである。休日ともなれば、入江のある広場や隣接するスーパーには、子どもたちの歓声、若いお父さんやお母さんの溌剌とした笑顔と活気で溢れている。住むにも子育てにも、好立地。都心では、とても手の届かないマイホームを求めてこの地を選んだファミリー。さらに、ここで育った子どもたちが子育てをする立場になり、この街の良さを再認識し回帰しているという話も聞こえてくる。
あまり知られていないことだが、この街の基本構想には槇文彦氏(代表作「ヒルサイドテラス」「並木第一小学校」の設計)、藤本昌也氏、宮脇檀氏、内井昭蔵氏、神谷宏治氏(当時は3、40代の若き俊英たちだった)ら日本を代表する建築家たちによって、極めて斬新で意欲的な住居群とランドスケープ(景観)を実現した。さらに、街全体のサイン計画を担当したのは、ヤマハのバイクのデザインを一手に担っていた(榮久庵憲司率いる)GKインダストリアルデザイン研究所。単にサインボードや街路灯のデザインをするだけでなく、敷地内の動線計画やゾーニングを意識したデザインが施されている点も魅力だ。
少し大上段に構えた物言いになるが、欧米と違いこの国では新築時が最高価格であり、その後価値は下がるだけ。そこには、”住宅と街を育てる”という価値基準が欠落しているように思う。
バウハウスを懐わせるレトロモダンな住宅群と、海を感じる街の風情が好きだ。棟と棟の間も広く、ゆとりがあり陽当りや風通しの良い空間が、気持ち良く保たれている。10年後、20年後、周辺の木々がさらに育ち、海と隣接した森林公園の中で暮らす姿(古いけれど、手入れの行き届いた日本の集合住宅のあり方)を思い描いてみた。
【夏休み期間のお知らせ】
例年通り、ファンサイト通信も夏休みをいただきます。 8月9日(金)と8月16日(金)の2回。 次号開始は、8月23日(金)からの配信予定です。それでは皆様、酷暑に負けずこの夏を楽しみましょう。