第1051号『捨てられないモノたちとの物語』

人生も後半戦、できるだけ必要最小限のモノだけで暮らしたいと考えている。だから、思いつくたびに(実施規模の大小はあるが)、断捨離をしている。

衣類や靴はもちろんのこと、重たい椅子や棚やテーブルなどは処分し、一人でも移動することが可能な家具類に替えている。しかし、毎回どうしても捨てられないモノがある。それはCDと本である。中古売買のサイトを調べ、梱包して出そうとしたこともあったし、ブックオフの店舗に持ち込もうとしたこともある。しかし、手放すことができなかった。それはなぜか?今号では、CDと本が捨てられない理由を考えてみた。

はじめに告白してしまえば、購入した全ての本を読み、全てのCDを繰り返し聴いたかといえば、答えは否である。未だに積んで置いているだけの本も数多い。さらに、CDを包む透明なラップも剥がさずそのまま放置しているものも数枚ある。読みもしない本、聴きもしないCD。でも断捨離できない。

思いつくままにCDや本との出会いを振り返ってみた。書店で背表紙のタイトルが心に刺さった本、イラストやデザインが素敵で衝動的に手にしたCD、観た映画があまりに素晴らしく、原作本や挿入歌のCDを購入したこともある。CDも本も手にした動機は様々だった。そして、購入してから何度も繰り返し読む本もあれば、途中で投げ出す本もある。ずいぶんと長い間積んで放置していたのに、ある日読み始めてしっくりとはまった本もある。CDでも似たような体験をしてきた。CDや本たちと、こうして、その時々に思い出(物語)を積み重ねてきた。

いまやCDも本も、便利でコスパが良いとは言えない存在かもしれない。だからといって、無碍にすることはできない。例えば、キンドルで読むよりも紙の本で読んだほうが気持ちが落ち着くし、深く考えて読める(ような気がする)。キンドルで読むときは、自分が何を読むのかを、予め決めていなければ始まらない。しかし、紙の本なら書架に並んだ背表紙を見て、その時の気分で(目に飛び込んでくるかのように)読みたい本と出会う。音楽も似たような気分になる。スポティファイも、アマゾンアレクサ(「アレクサ、〇〇の〇〇をかけて」と)も聴きたいものを予め決めて聴く。一方、CDなら、棚を一覧し、タイトルやジャケットのデザインや色合いを見て、その時の雰囲気で選ぶことが多い。そして、CD1枚丸ごと、オープニングからエンディングまで、ミュージシャンの意図に沿って聴く楽しさも味わえる。例えば、ビートルズのアビイロードは全曲をその流れに沿って聴くからこそ、より深く楽しめる。

少し大げさに言えば、これまでの僕の来歴が、本でありCDといったモノたちなのだ。モノはいずれは壊れ消滅する。でも、いまは、様々な出来事とその時空を乗り越え、ともに歩んできた物語を語り合う仲間として僕の傍らにいてくれる。自分だけの物語があれば、どんな高価な金品よりも価値がある。そして、思い出があれば在るほど豊かになる。だから、簡単には断捨離できないのだ。これからも、じっくりと時を重ねていきたいと願っている。

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