先週の金曜日、孫娘が生まれた。
翌日、生後1日目の彼女に会った。
その小さな生命に触れ、様々な偶然と必然が紡ぎ合い、不思議の末に出会えたことに
感謝した。
そして、改めて感じたことがある。
世のなかには、自分の力で解決できる問題と同じくらい、あるいはそれ以上に、ただ
事の成り行きを見守るしか方法がないことがある、と。
命を授かることも、血縁や地縁で結ばれることも。
「言おうと思ったが、結局、言わずにおいたコトバ」と、「未整理のまま持ち越してい
ること」がたくさんある。
「言ったこと」や、「やったこと」以上に「やらなかったこと」や「言わなかったこと」
のほうが圧倒的に多い。
でも、こうしたことが、人生を切実で愛おしいものにしているのだ。
結論が出ない。
手をこまねく。
問題解決に結びつかない。
あるいは、そもそも問題解決しようがない。
じいちゃんという自分の立ち位置を、どう受け入れたらいいのかと戸惑い続けながら。
コトバにならないコトバを余白に込めて、陳腐な言葉だけれども祝いたい。
「・・・誕生おめでとう、はる・・・」
2件のフィードバック
ご無沙汰です。湘南スタイル藁品です。メール配信ありがとうございます。
当方も昨年11月8日に3人目の男の子の孫が誕生しました。
同感です。
なにも言わない、言っていない、表現しない自分が、
川村さんの表現に感動!
今後もよろしくお願い致します。
藁品様。ご無沙汰しております。ご高覧ありがとうございます。メールいただき嬉しいです。最近、友人から教えてもらったのですが「以不解解之」と言う言葉を知りました。
「解するをせずを以て之を解す」こうした事柄の中に、本質があることを実感すること、しきりです。今後とも引き続きよろしくお願いします。