アトリエの窓から、中庭の花々を手入れしている人影が見えた。
ふと、連想ゲームのように、イングリッシュガーデンを造ることが趣味だった
伯母のことを思い出した。
幼い頃、毎年観桜会の季節になると、父に手を引かれ伯母の家に遊びに行った。
よく、おやつにパウンドケーキを焼いて待っていてくれた。
これが、楽しみだった。
そのころのお菓子といえば、近所の駄菓子屋で食べる得体のしれない代物と
相場が決まっていた。
こんな食べ物が世の中にあるのかと思うほど、とてつもなく美味い。
そして、なぜか晴れやかな気分にもなった。
このケーキを魔法のように作れるなんて凄い。
子供心は打ち抜かれ、伯母が大好きだった。
自由でモダンだった伯母。
彼女の影響をぼくは強く受けた。
弘前城の裏手にある五十石町は、いまだに城下町の風情が残る。
この伯母の家に、高校時代下宿していた。
40年以上も昔のことである。
ここで、伯母が購読していた雑誌『暮しの手帖』を初めて手にした。
なんだか、他の雑誌と趣が違うのだ。
例えば、普通、雑誌は購読料と広告料によって支えられている。
ところが、どこを開いてもその広告ページがない。
後で知ったことであるが『暮しの手帖』には商品テストという企画がある。
冷蔵庫であれ洗濯機であれ、国内で販売されている様々な製品を集め、
一々チェックし、その優劣を吟味するというものである。
これを成立させるためには、どのメーカーからも関与されない身綺麗さを
保持していなければ成立しない。
ゆえに、広告収入の道を断つ。
凄まじい、覚悟である。
料理もファッションも住宅も、どの記事も分かりやすい。
その特徴を支えているのは、ひらがなを多様し、読みやすさにこだわり、
写真の撮り方ひとつをとっても作り手の丁寧さが伝わってくる。
『暮しの手帖』の編集長であった故 花森安治。
彼は戦時中、大政翼賛会宣伝部にいて「欲しがりません勝つまでは」の
標語の生みの親でもあった。
その彼が、敗戦を経て分かったことがあると言う。
それは、戦前・戦中、一人一人の暮らしが祖末にされてきたということを。
人々の暮らしというものをもっと大事にしていたら、その暮らしを破壊しようと
するものに対して、もっともっと戦えたのではないかと。
すべては衣食住に足場を置き、そこから見て考え発言する。
観念論や抽象論ではなく、具体的に。
この視点をいま一度、確認する必要があるのではないか。
思えば、自由闊達であった伯母にもその気骨は貫かれていた。
そしていま、無性に伯母の作るパウンドケーキが食べたくなった。