デパートのウインドウを飾るイルミネーション、宝くじ売り場のかけ声、クリスマス
のジングル・・・。
街の風情はすっかり、年の瀬へと向かって走り始めている。
仕事帰り、ふと電車の中吊りに視線を向けると、わが故郷への帰省バスの広告が目に
留まった。
もう、そんな季節なんだな。
品川バスターミナル22時発、翌朝弘前着7時30分。
更に五能線に乗り換え、ほぼ半日を費やす長い道のり。
それでも帰った。
弟と話がしたくて、母の作ってくれる飯が食べたくて、父と何を話すでもなく、ただ
並んでテレビが見たくて。
でも、今年は帰らない。
いや、帰る場所がない。
13年前弟が亡くなり、7年前に母が他界し、今年、父を見送った。
もう、故郷には家族はいない。
上京して40年以上の歳月。
人生の大半を過ごしてきた東京から眺める故郷は、メランコリーなものでしかないの
かもしれない。
メランコリーには、ある種の罪悪感のような匂いが含まれている。
年に数日しか会わない父や母への。
捨ててきた故郷への。
普段、忘れている諸々の後ろめたさへの。
そんなことを考えている間に、電車はボクの住む駅に着いた。
改札口を出ると、駅舎の角に公衆電話が1台、ポツンと置かれている。
いつもは、あることさえ気に留めていないのに。
ボクは突然、母のことを思った。
そして、無性に声が聞きたくなった。
もし、電話が通じたら、どんなことを話すのだろう。(そして、この公衆電話からだった
ら、まるでタイムマシンのように、つながる気がした)
「飯はちゃんと食べているのか? 仕事のほうはどうだ? 無理していないか?・・・」
そんな、いつもの母の声が聞こえてきそうだ。
ボクはその言葉に、ただうんうんと頷き「今度の正月は帰れないかもしれない・・・」と、
つぶやいてみた。
4件のフィードバック
お父さん!故郷っていいですね!母の作ったご飯(キルギスではパン)の香り、父とすごした時間、兄弟と遊んだ道。。。すべてが一生心を暖めてくれる!私も20歳で母をなくして、21歳で日本へ留学しそのまま6年間日本滞在、そしてやっと帰国して故郷に戻ったと思ったら、今度は結婚して、子供が生まれて、今はビシュケク人住んでいる。今や年に1回は実家のナリン市に戻って、父と話して、母が植えたリンゴの木に水をあげて、たくさんリンゴを食べる自分、年に1回日本に行って、精一杯おいしい魚を食べて、梅酒を飲んで、温泉に行く、そして必ず横浜住まいの家族に会いに行く自分。。。あああ、私には二つの故郷があることに感謝!
切ないです。私は東京で生まれて、ほぼ、東京近郊で育っているので、郷里に対する思慕を感じることがあまりないのですが、先立つ肉親への思いは、ひょっとした時に感じることがあります。津軽、年の瀬、公衆電話の演歌(ソウル)の世界。ぐっときました。
バラ、ありがとう。いつでも横浜で待っているよ。
野村さん、年の瀬で多忙かと思いますが、また飲めると嬉しいね。
川村さん
忘年会良いですね。ただ、以前は1月にやっていた加盟校特別研修会を3年前から12月に実施しており、自由になるのは12月28日(土)だけです。もし、ご都合がつくようであれば、連絡下さい。
野村知秀