僕にとって5月は、出会いの月だ。
なぜか、5月に出会った方々とは長いお付き合いになる。
師、柏木博先生との出会いも5月だった。
浪人生として上京し、東京には慣れたが予備校にも行かずブラブラと一日を過ごしていた。
ある日、高校時代の同級生が遊びに来て泊った。
翌朝、物見遊山に友人が通う美術学校に同行し、もぐりの学生として授業に出席した。
そこで、柏木先生と初めてお会いした。
その授業をいまでも鮮明に覚えている。
先生は黒板にするすると50年代のアメ車、クライスラーかフォード車のようなフォルムを描いた。
後尾が飛行機の尾翼に似た、いわゆる流線型の絵だ。
そして、柔らかな語り口で講義が始まった。
「この尾翼が付いてもこの車は300キロのスピードも出ないし、飛びもしない。でも、この車は尾翼に似たデザインとしての「記号」が付いたことによってスピードという「意味」を獲得することができたのだ。」
つまり、デザインとは「記号」によって「意味」という物語を創ることだ。と。
僕は、ゾクゾクした。
なんだかよくわからないけれどなにかが心に響いた。
兎も角「そうか、たしかにそうだ」と腑に落ちた。
だけど、その時はどこがどう腑に落ちたかをはっきりと言うことができなかった。
あれから30数年、僕は「そうか、たしかにそうだ」と腑には落ちたけれど、はっきりと言うことができなかったデザインという「意味」を追ってここまできた。
そして来春。
柏木先生の薦めもあり、お茶の水にある専門学校で講師をすることになった。
先生とご一緒に僕の僅かな経験を通して、デザインという「記号」によって「意味」を物語ることのできる語り部を育ててみたい。