第286号『余分』

【整数】
【整数】

すべてに当てはまるわけではないが、調子が悪いときは余分が多くなる。
余分が多いとどうなるか。
例えば、ファンサイト通信を書いていて、なんだか言い回しがくどいしカッコつけた文章になる。
しかも意味がわかりづらい。

不調な時は、何を書くかで悩んでいるのではなく書くことに苦心している。
だからか、書くことそのものが目的なる。
結果、一行ですむことを延々と書いている。

他にも似たようなことがある。
みそ汁の味付けも、そのひとつだ。
ひと匙、味噌を足すかどうか迷っていて足すと、ほぼ確実に塩辛くなる。
レイアウトもそうだ。
写真をもう1枚、あるいは線を一本、余分に画面の中に加えるかどうかと迷い加えてみると、それまであった空気感が瞬く間に消えてしまう。
極めつけは、仕事場の机の回りである。
捨てていいものが山のように積まれている。
いざ捨てようとすると、もしかしてこの企画書は参考になると思い、あの資料もいずれ役に立つかもしれないと不安がよぎり、捨てることを躊躇してしまう。

余分は迷いの現れである。

「迷っている時は捨てるべし」
これは、ある種の真理かもしれない。
真理にしたがえば、規則になる。
しかし、真理はただそこにあるだけなのに、規則は行動を強制する。
そして、強制に歯向かう僕を僕はなかなか捨てられない。
捨てるべきか捨てざるべきか、と。
だから、僕は真理の前で戸惑うことになる。

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