戦後最大の規模で進行している森友・加計学園疑獄事件。
もうすでにテレビで嫌というほど放送されているので、詳しくは触れませんが、事態は2名の工事関係者、2名の財務省職員が自殺、一人は未遂。
さらに証拠を握る籠池夫妻の長期勾留に謁見禁止、亡くなった方のご夫人が連絡が取れないということで、まさに映画のような恐ろしい展開になっています。
ずっとこのブログでも、現政権の問題を書いてきましたが、なぜここまで酷い事件に発展してしまったのか、そして私をはじめ多くの人達が、なぜここまで私生活のリスクを負ってでも声を上げているのか、時に悲しい気分になります。
しかし世間的には、佐川元国税庁長官の単独犯行で落着しそうな気配があり、なぜ安倍首相、麻生財務相への責任を問うのか分からないという声も多いそうです。
それをハッキリさせるためにこそ、問題のプレイヤーである昭恵夫人、籠池夫妻、また認可した松井大阪知事、迫田元国税庁長官などが全く公式の場に出てこないのが問題なのに、なぜそこに意識がいかないのか、その理由が私にはわかりません。
北欧のデンマークでは、中学校の社会の教科書の1ページに「その情報は信じられますか?」というような主旨の言葉が書かれています。
日本の場合、明治維新から全てを政府が決め情報を出し、国民はそれを信じてひたすらがんばってきた。
その結果世界に類をみない経済復興をとげたという事実をいまさら否定するつもりはありません。
ただそれによって、人として大事なものを失ってきてしまったのではないでしょうか。
親殺し、子殺し、自殺、格差、ひきこもり、うつ病。全ての数字が悪化の一途をたどっています。
半面、国民が自ら学び、情報をしっかりと精査するベースからなるデンマークは、今や幸福度で常に上位を占めています。
ここで誤解してほしくないのは、デンマークのマネをすればいい、ということでないということ。
これまでの歴史から私らが何を学び、どうしていきたいかを明確にするために「疑う人」でありたいと思います。