第329号『走るということ』

【号砲を待つランナーたち】
【号砲を待つランナーたち】

来月5月31日、恒例の山中湖ロードレースに出場する。
かれこれ二十数年になるが、年に数回レースに参加している。
だが、いま、走れない日が続いている。

先月、右足の人差し指をちょっとしたアクシデントで打撲した。
しばらく、靴も履けないほどに腫れ上がった。
一ヶ月も経ち、さすがに腫れはひいてきたが、強く踏み出すと、いまだに少し痛みを感じる。
それでも、徐々に散歩の距離をのばしている。
来週からは軽くジョギングをいれたトレーニングをしたいと思っている。
なぜ、かくも走ることに拘っているのか。

村上春樹著『走ることについて語るときに僕の語ること』は、ランナーの内省を露にした名著である。
マラソンを完走するということは、本を一冊書けるほどに自己言及的であり、日常を超えた瞬間が迎えられる体験でもある。
しかし、それが英雄的な行動であるかといえば、特段そうでもない。

とりわけ、市民マラソンは極めてありふれた平凡な物語である。
それが証拠に、雨や風など、かなり過酷な天候であれ、ランナーのほとんどがゴールに辿り着き、その日のレースをハッピーエンドで終える。

しかし、普段、平凡な日常を送る人が、完走することで確実に非日常的な瞬間を迎えることができるのも事実だ。
つまり、それは「自分を褒めてやりたい」という単純な言葉ではあるが、個人的な自己承認の体験であり、自らの歩んできた人生の追認の場でもあるからだ。

ともあれ、小さな自己満足に浸りながら、走り終えた後、ビールを飲む至福の時は近い。(笑)
まずはあせらず、ゆっくりと走りはじめてみることにする。

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