根岸吉太郎監督作品、映画「ヴィヨンの妻」を観た。
脚本、役者、撮影、照明、録音、美術、衣装、編集・・・
その全てにおいて、目配りが行き届いている。
これは、偶然ではない。
30年以上前のことである。
日本映画はTVとハリウッド映画に圧倒され、衰退の極みだった。
東宝、東映、松竹、日活、大映。
日本映画の大手5社の多くはその惨状から逃れることが出来ない状況だった。
当然、経営状態も、目を覆うばかりの惨憺たるものであった。
その中でも、特にひどかったのが日活と大映だった。
こうした中で日活は、生き残るための苦肉の策として、本編といわれた、これまでの石原祐次郎や小林旭を主役に立てての、青春映画路線踏襲を止め、エロ映画路線へと変貌した。
このエロ映画群が、後に「日活ロマンポルノ」と呼ばれる。
上映時間120分以内、セックスシーン最低3回、さらに製作日数、製作費などが決められていたがその他は自由。
いわゆる、プログラムピクチャーといわれる製作スタイルであった。
監督は藤田敏八、西村昭五郎、曽根中生、柛代辰巳、田中登、長谷部安春・・・。
当時無名だった助監督集団に森田芳光、相米慎二、池田敏春、中原俊、那須博之、そして根岸吉太郎らがいた。
彼らは皆、映画の作法を師匠から学ぶ仕組みの内で育った人たちである。
勿論、そうした意味では藤田敏八、曽根中生、柛代辰巳らの師匠には、今村昌平、西河克己、浦山桐郎、鈴木清順、熊井啓などがいた。
いま、この連鎖の仕組みはない。
近年、映画作りで、映画監督の多くは、TVのコマーシャルフィルムや、ぴあの主催する映画コンペティション、TV制作会社からデビューしている。
それも、個々の才を闘わす活気があってなかなか良い試みだと思う。
しかし、映画という熟達した職人集団の中で映画の作法を学ぶことの意味は決して小さくなかったのではないか。
なによりも、日本映画という文化を引き継いでいくことにおいて。
「師匠であることの条件」とは「師匠を持っている」ことだと、聞いたことがある。
つまり、監督それぞれの個性は失わずに、しかしながら、自我としてのみ自己完結することのない作品作りこそが名作を生むのではないか。