第357号『道徳という名の知恵』

【譲り受けた腕時計】
【譲り受けた腕時計】

時計職人だった父の日課は、朝の掃除から始まる。
朝7時、住み込みの弟子たちと、はたき掛け、掃き掃除、雑巾掛け、乾拭きと、ほぼ、一時間ほどかけて徹底的に店の隅々まで掃除をする。

なぜ、これほど丁寧にするのか、と問うたことがあった。
答えは、分解修理をする時計に塵や埃が付着しないようにするため。
そして、万が一、床に部品が落ちたとしても、直ちに発見しやすいからだ。と。
なるほど、合点がいった。

こうした父の影響もあり、掃除は苦ではない。
父ほどに徹底的ではないが、ファンサイトも、月曜の朝メンバー全員で掃除をする。

掃除の良いところは、当然ことであるが、掃除をする前よりも、した後の方が奇麗になることだ。
しかも、とても簡単で、誰でもできる。
その上、机や椅子のガタつきを発見することができたり、トイレットペーパーの補充も確実に確認することもできる。
そして、掃除が終わるころには、アトリエは清々しい空気に包まれ、さらに、なんとなく暖かい気持ちにもなる。
感情は、常に行為の前にあるとは限らない。
行為が感情を形成してゆくこともある。

たかが掃除という小さな作業ではあるが、それを皆でしっかりと遣ることで気付くことや、思いやることが自然に身に付くのだ。
これは、極めて道徳的な行為でもある。
そもそも道徳とは、何かを無理強いするものではなく、本来、とても合理的な作法として伝えられた方法論、つまり知恵なのだ。

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