第625号『引用の織物』

プリント
【幻となることが決まったエンブレム】

今朝、ニュースで2020年東京五輪・パラリンピックのエンブレムが白紙撤回されたことを知
った。
一連の作品を制作したデザイナーの佐野研二郎氏に、模倣や盗作があったのではないかとの
疑惑がかけられたことに起因してのことである。

事の真偽はひとまず置くとして、今回の出来事を通して、ボク自身、オリジナルとか、クリエ
イティブといったことの意味を、これまで随分曖昧にしてきたなと感じた。

断るまでもないことだが、これはあくまでボクの個人的な意見である。

よく言われることだが、白い紙に思いつくまま、思うがままに表現することがクリエイティブ
だと思われがちである。
しかし、それは違う。

なぜなら、クリエイティブとは歴史であり、さらに言えば、引用の織物である。

そもそも、新しいとは相対的な立ち位置をもつことによってのみ存在する。
したがって、この世に絶対的な新しさなどありえない。

建築・美術・文学・音楽・映画・スポーツなど、表現されるもののすべてにおいて、過去の膨大
な作品群の記録と記憶が存在する。
これら、先人たちのアーカイブから逃れることは誰もできない。

例えば、ウッディ・ガスリーがいなければ、ボブ・ディランはいないし、ボブ・ディランがい
なければ、吉田拓郎もいなかっただろう。
例えば、エリック・サティがいなければ坂本龍一は存在しなかったし、坂本龍一がいなければ、
コーネリアスも槇原敬之も存在しなかった。

例えば、イギリスのアーツ・アンド・クラフツムーブメントでウイリアム・モリスが存在しな
ければ、ドイツ工作連盟は存在しなかっただろうし、ドイツ工作連盟がなければバウハウスは
存在しなかったし、バウハウスがなければ、シカゴバウハウス、そしてイリノイ工科大学をは
じめ、今日の日本のデザインとデザイン教育もなかっただろう。

ものを創るということは、これまでの歴史的文脈の流れを学び、畏敬し、感謝し、そしてそこ
から更に、順列組み合わせを変え、いままで無かった何か(=アイデア)を付け加える作業な
のだ。
それが、すべてのクリエイティブの新しさであでり、オリジナリティということではないか。

つまり、どこまでいっても創ることとは、引用の織物を編むことなのだ。

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