第642号『時間は「ある」』

IMG_6465s【愛用のランシューズ】

昨年末から、週に1・2回走り込みをしてきた。
時間にすれば2時間前後、距離は20キロほど。

昨年、地元で開催のハーフマラソン大会に参加した。
ふくらはぎの肉離れで、トレーニングもままならない状態での参加、結果は予想どおり散々な
ものだった。
今回は、その轍を踏まないようにと、注意深く着々と準備していた。

ところが先週、仲間との合同練習会でまたしても肉離れに襲われた。
一人では、なかなか出来ないスピードアップのトレーニングをしていた時のことだ。
この日、調子がよくいつもより少しだけ負荷をかけて走った結果だった。

ふくらはぎの肉離れは、治るまで意外と時間がかかる。
完治まで、少なくとも1週間、下手をすれば1ヶ月以上におよぶ。

これで、しばらく走ることは出来なくなった。
はたして、2月のレースまでに完治するのか?

歳をとって良いことなど、それほどない。
体力も筋力も記憶力も、落ちる。
肉離れも、その例だ。

それでも、まんざら悪いことばかりではない。
不思議なことに、若い時には分からなかったことが分かるようになったり、見えていなかった
ことが見えてきたりする。
時間の捉え方も、そんな数少ない良いことのひとつかもしれない。

例えば、10時までの締め切りまで、あと2時間。
想像してみる。
そして、それをどう言うか。
「少しある」とも言えるし、「あまりない」とも言える。
事実としての「時間がある」と「時間がない」は同じ2時間である。
繰り返すが、同じ時間なのに「ある」とも、「ない」とも表現できる。
つまり、「ある」か「ない」かは自分の気持ち次第なのだ。

価値判断の絶え間ない積み重ねが、ボクの人生を作っていく。
だからこそ、日々の想いと行ないに拘泥する。

2月のレースまで、まだまだ時間は「ある」。
できるだけあるがままに、そして愚直にやれることと、やるべきことをやる。
たとえ結果が報われないとしても。

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