ほぼ毎朝、まるで儀式のように続けていることがある。
水を飲む、ストレッチをする、珈琲を淹れる、日記を書く。
この小さな1つ1つの動作を支えてくれているのが、お気に入りの道具たちである。
水を飲むためのグラスは、友人のガラス作家、大場匠氏のアトリエで、吹きガラスを初めて体験した時に作ったものだ。
手前味噌だが、しっくりと手に馴染み気にいっている。
ある時、ストレッチをするマットレスも、珈琲を飲む器も、日記を書く万年筆も、みんな共通している点があることに気が付いた。
変な言い方だが、道具のほうからこんな風に使ってくれと、語りかけられているのだ。
カタチのよい椅子を見ると、座ってみたくなる。
太鼓とばちが置いてあれば、叩いてみたくなる。
ギターを手にすればポロロンと弾いてみたくなる。
言葉でこうしなさいと、言われたわけでもないのに、自然にそうしたいと感じる。
モノの色やカタチ、手触り、音や臭い等々。
日々の生活の中で、モノが人に特定の行動を促すことを認知心理学で「アフォーダンス」というのだと、後輩から教えられた。
英語の動詞アフォード(afford)は「与える・提供する」の意。
米国の心理学者、ジェームス・ギブソンの造語アフォーダンス(affordance)は、「環境が動物に提供するもの、用意したり備えたりするもの」だという。
いい道具は、おしなべてこの「アフォーダンス」つまり、こんな風に使ってくださいという,強い信号を発している。
でも、考えてみれば、僕たちは八百万の神という名で、もともと森羅万象のモノにも何か目に見えない『気』のようなものがあると教えられてきた。
日々の生活を豊かにするのは、なにも新しいモノを取り入れるだけではない。
気に入った道具に出会ったら、あれこれ替えずに使い続ける。
替えない、変わらないというやり方もあるのだ。