第422号『日和』

【抜けられない】
【抜けられない】

先週末、小川町の交差点近くにある居酒屋、「日和」に行った。
10人も入れば、いっぱいになるこの店は、寡黙な大将と気さくでおっとりしたママさんで切り盛りしている。

この店に通う理由。
まず、種類は多くないが、しっかりと選ばれた酒を用意している。
そして、客のひとり一人に過不足ないかと、ママさんの目が行き届き且つ、適当に放っておいてくれる。
もちろん、ママさんの手料理が塩梅良い。
要するに、居心地が良いのだ。

久しぶりのことであった。
被災された方々や、連日報道される映像を見ていると、とてもじゃないが、外食も居酒屋で酒盛りする気分にもなれなかった。
特に原電事故に関して言えば、3.11の後、起きている事実は、この国と僕たちが、これまで選択してきた問い(例えば、小資源国でありながら、高度成長をし続けるためにはどうするか、そして、効率的でより合理的なエネルギーとして原発を選んだ)に対する答え(ファイナルアンサー)である。
どんな立場であれ、紛れもなく我々はその共犯者でもある。
その、余りにまがまがしい結果に、誰もが縮こまり逡巡している。

が、しかし、数日前からママさんが作る「煮浸し」が無性に食べたくなった。
それから、ここのところ、飲食店や娯楽施設にまったく人が集まらなくなっているとの報道をみて、少し心配になった。
ガランとした店で、大将とママさんがしょんぼりしている図が思い浮かんだ。
とまれ、どんな状況であろうが、人は食い飲む。

一番乗りだったこともあり、他に客も居ず、ママさんとたわいもないことを話しながら、酒と肴、もちろん煮浸しを前にしながらポツリポツリと飲みはじめた。

そうして、ものの30分もしないうちに客が集まり、店は一杯になった。
皆、穏やかな時間に包まれ、飲み食べ話す。
気が付けば、いつもの「日和」である。

なんだか少し身体が暖かくなり、元気が出てきた。
それは、酒の所為ばかりではないと感じた。

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