【居酒屋の暖簾】
今年、春のことである。
神田オフィスでの打ち合わせが終わり、駅前にある三州屋に立
ち寄った。
ファンサイトは創業以来、神田に事務所を構え続けているので、
いわばホームグラウンドのような居酒屋である。
料理は(刺し身と鳥豆腐が最高に美味い)もちろん、ホールを
切り盛りしているおばさんたちも手際がよく、居心地のいい店
である。
ところが、入口の張り紙を見て驚いた。
閉店のお知らせ
4月14日をもちまして、閉店致します。
長い間ご愛顧を賜り、熱くお礼申し上げます。
ご不便、ご迷惑おかけして申し訳ありません。
他の三州屋店をご利用いただけますようお願い申し上げます。
これからの皆様に、幸多かれしこと心からお祈り申し上げます。
神田三州屋
激しく動揺した。
ご不便、ご迷惑どころではない。
これから、ふらっと立ち寄る頃合いがよく、居心地が良い居酒
屋がなくなるじゃないか。
先日、野暮用があって久々に銀座へ行った。
野暮用とは別に、確かめたいことがあった。
それは、並木通りにある三州屋銀座店の看板があるかどうかを
確認したかった。
そして、路地奥にあるその看板とのれんを確かめ、ほっとした。
実は数日前、神田に続いて銀座三州屋店もなくなったのではな
いかという噂を聴いていたからだ。
この店ののれんを初めてくぐったのは、高校2年の夏。
弘前から上京し、京橋にある主婦と生活社で副編集長をしてい
た従兄弟の工藤哲を訪ねた時のことだ。
「これから、編集会議があるから来い」と言われ、わけもわか
らず、のこのこと後を付いて行った。
そして、連れて行かれたのが、三州屋銀座店。
店には、カメラマンとライターが待っていて(編集者とは、
こんなところで仕事をするのかと驚いた)、あれこれと話して
いたことを思い出す。
あれから、50年の月日が経つ。
その時間の流れとともに、あらためて思ったことがある。
人間関係であれ、お店との関係であれ、営みというものはどれ
も似ている。
築き上げるのには、手間暇がかかり、結構な時間を要するが、
それを破壊するのは一瞬で事足りる。
だからこそ、自分にとって本当の豊かさとは目に見えるもので
はなく、そこに隠された(あんなことも、こんなこともあった
けれど、それを一つ一つ乗り越え、積み重ねてきたという)物
語のことではないか。
こんど、三州屋銀座店ののれんをくぐるのは、牡蠣フライを食
べに行くころになりそうだ。