同僚だった和田洋氏(行定勲監督「GO」、村上龍監督「限りなく透明に近いブルー」の美術監督)の同級生で作家の村上龍の小説「69」はぼくらのあの時代の空気と気分をほぼ掬ってくれている作品である。
そのイントロを少し、
「一九六九年、この年、東京大学は入試を中止した。ビートルズはホワイトアルバムとイエローサブマリンとアビーロードを発表し、ローリングストーンズは最高のシングル『ホンキー・トンク・ウイメン』をリリースし、髪が長い、ヒッピーと呼ばれる人がいて、愛と平和を訴えていた。パリではドゴールが退陣した。ベトナムでは戦争が続いていた。」
こんな感じである。
そしてアメリカに勝った地上で唯一の国ベトナム。
だからベトナムは特別な国、そんな気分を抱いていた。
1998年はじめてアメリカに仕事で行き対極にあったベトナムに漠然とした興味がわいた。
そのベトナムに親友のカメラマン、本橋松二と翌々年1990年の夏、旅をした。
それまで堅く閉ざしていた外からの訪問者も受け入れるドイモイ政策(「ドイ(変える)」「モイ(新しい)」を組み合わせた言葉で「刷新」を意味する。社会主義体制を堅持しながら改革開放路線を採用するもの)3~4年目のころだったと思う。
タイからサイゴン(現ホーチミン)へ空路で入る。
驚いた事に空港の建物が木造平屋であった。(と記憶している)空港から車で移動、途中スコールが来た、人も、牛も、車も立ち止まる。
スコールが立ち去り煙雨の昼下がり大きな街路樹をくぐり抜け、街へ入る。
その街は、貧しいけれど乞食がいなかった。男も女も凛としていた。人民服を着ている男と女。自転車とバイクで溢れ、人々の熱気と活気があった。そしてなにより食い物が旨かった。
ホテルの裏にあったうどん屋に毎朝通った。
このうどん、フォーという。
米で作った麺、魚から作った醤油ヌックマムをベースにした温かい汁をかけ、ざるかごにある名前もわからないハーブと野菜の朝露をはらい好きなだけちぎって入れる。
鶏肉入りがフォーガー、牛肉入りがフォーボー。
これが旨い、朝から2~3杯は軽くいける。
昼を待たず夜を待たず様々ものを食した。
生春巻き ゴイクォン、焼きビーフン サオブンタップカム、フランスパンのサンドイッチ バンミーティッこれがまた旨い、パリで食べたフランスパンの味は記憶にないがサイゴンで食べたフランスパンの味はまだしっかりと脳裏に刻まれている。その他にも名前もわからない料理と食材をともかく食べた。
またあの旨いベトナム料理が食べたいと時々思った。
東京にある2,3のベトナム料理屋に行ってみた。
それなりに旨いが少し違った。
気候が違う、食材が違う、当たり前といえば当たり前だ。
4年前、知人の紹介で布施旋子さんというベトナム料理の会を主催している方を紹介された。
ベトナムのそれもサイゴンの家庭料理を中心に作って楽しむ会だという。
食べにいった。
旨かった。
東京のベトナム料理店で食べたものとはなにかが違う。
日本名、布施旋子さん=トウェンP.T.さん1971年サイゴンで画家であった父上と教員だった母上の三女として生まれる。
ベトナム戦争のさなか1981年ボートピープルとしてご家族と共に来日。
日本で生活しながら母上から母国語・歴史・生活風習そしてベトナム料理の手解きを受けたという。
なるほど納得した。
旨いには訳がある。
そして民族の誇りは言語と食によって作られるということも。
追伸
トウェンさんのベトナム料理の本が上梓されています。
「ベトナムの料理とデザート」トウェンP.T.パルコ出版