時々5月にニューヨークの街を歩いたときの記憶がよみがえる。
10年ほど前、仕事で訪れたこの街はさながらアールデコ様式建築物の展示場でもあった。
アール.デコは、一九二〇年代を盛期としてヨーロッバ、アメリカに波及した新しい造形様式である。
アール・ヌーボーの優美な曲線や繊細な装飾性とは対照的に、直線的でダイナミックでシンプルなデザインによるきわめて現代的な感覚を志向したもので、合理的で普遍性のある機能美を目指すものであった。
したがって生産性においても量産を可能とし、大衆化をはかることも重要とされた。
いわゆるモダンな都市文化の象徴としてアール・デコ・スタイルが生れたのである。
若い街だったニューヨークがこの様式の建造物を数多く採用したのもうなずける。
訪問先の会社はセントラルパークに程近いところにあった。
外観のもつアール・デコの様式美からは想像もできない柔らかでシンプルな内装のオフィスであった。
景観の保守管理と内部のモダンな空間利用という極めて難しい問題を難なく融合していたことに景観無法都市東京から来た自分としては、少し嫉妬と驚きを感じた。
考えてみればニューヨークの建造物は(9・11を除けば)200年以上他国から侵略されたことがなく地震もほとんどない、極めて保存状態の優れた環境の中に置かれていたわけである。
そこには歴史のないアメリカという国の都市の歴史と共同体の歴史を記億として人々が深く刻み込もうとしていることを感じた。
一方、奇妙なことに2000年の歴史を持つこの国は、昨今むしろ記憶を消すために都市を構築しているようにも思う。
極めて象徴的だが、明治通りと表参道が交差するランドマークとしての機能もある「ティーズ原宿」(GAPのビルボードが目印)は10年間という期限限定の建築物である。
さらには青山にできた「ピュアブルーダイニング100」はあるビール会社の100日間限定のお店である。
これらの建物は消費社会における都市の景観や建築に対しての一つの積極的な提示と受け止めることもできる。
しかし数多くの一般住宅やオフィスは無自覚なまま壊されることを前提に大量生産され消費されるものがほとんどある。
私がその場にいたことがあるという記憶はどうなるのだろう。
人と人との出会いや、別れを受け止める景観が粉々と消えていくということは・・・。
記憶を消す街にいきる僕たちは、これからどこへ向かおうとしているのだろうか。