友人に三島由紀夫と『忠臣蔵』の大石倉之助の共通項がなにか分かるかと訊ねられ、しばし答えに窮した。
答えは割腹したことと、亡くなった歳が45歳の同年齢だったということである。
NHKの大河ドラマで大石倉之助役の長谷川一夫のイメージが強かったのか倉之助は当時とっくに60歳を超えているものだと勝手に想像していた。
1996年の 簡易生命表では男 77.01歳,女 83.59歳に達している。
18世紀末には35歳か40歳ぐらいだった平均寿命が、およそ2倍以上にのびているということになる。
そう考えると大石倉之助の45歳はほぼ人生の終焉を準備するのに遅くない時期に討ち入りがあったということだ。
それは武士として最高の死に様でもあったのだろう。
死は突然背後からやっくる。
だから身構えて準備するわけにはいかないが、統計学上、ぼくはこれからおよそ30年は生きることになる。
人生を達観し、盆栽をいじり、碁でも打って余生を過ごす。
こなれた老人像、はたしてそんなものがあるのかどうかも定かでないが、もし仮にそんなふうに終焉を待つにはあまりに長くて惨い事実がよこたわる。
(30年間も碁と盆栽ばかりやってられないでしょう。飽きちゃって)
では30年の間、
どんな仕事をすればいいのか?
どんな趣味を持てばいいのか?
どんなファッションをすればいいのか?
どんなSEXをすればいいのか?
どんなふうにお金を稼ぎ、使えばいいのか?
いずれにしても、かつてないような体験と経験のなかにいまいる。
90歳を超えてなお盛んに映画作りに取り組んでいる新藤兼人監督のお話を伺う機会があった。
老いは枯れることではない。
野心も欲望もそして性欲もかつての若いころよりもむしろ鮮明にしかも強烈に自分の内に存在することがわかった。と
それは20歳からとは違う青春を、もう1回生きることのようにも聞こえた。
しかし残念ながら、回りを見渡して、新しいプランとストーリーで50歳を過ぎた人生(=青春)のやりかたをまだ、大半が見つけていない。