第92号『鵜呑みにする』

知人のYさんは、人から聞いたことや、本に書いてあることを実験するのが大好きである。
例えば、ジョギングする時、サランラップをお腹に巻いて走るとお腹の脂肪を効果的に減らすことができる。とか、焼酎のお湯割りは、グラスに先にお湯を入れてから焼酎を入れると口当たりがまろやかになる。とか、そのほとんどが、些細な実験である。

先日、そのYさんが三つの小瓶を持って現れた。
最近読んだ本に影響され、どうしても実験したくなったのだという。

中を覗くと、一つの瓶には白っぽい塊があり、あとの二つの瓶には真っ黒い塊がある。

こちらが尋ねる前にYさんが話し始めた。

中身はごはん。
同時、同量、同じ場所に一週間ほど放置したものであるという。

違いはそれぞれの瓶に貼られているラベルである。
いや、正確にいうとラベルも同じものである。
ただ、ラベルに書かれた文字が違うのである。

白っぽい塊の入った瓶に貼られたラベルには「ありがとう」という文字が、黒っぽい塊の入った瓶に貼られたラベルには「ばかやろう」という文字が記されていた。
そして、もう一つの黒い塊の入った瓶のラベルには、なにも記されていなかった。

こちらから、「これは何?」と尋ねる前にさらに畳み掛けるように話しが続く。

つまり、言葉の波動が良い影響と悪い影響をもたらし、「ありがとう」という良い言葉に触れたごはんは腐りが遅く、「ばかやろう」という悪い言葉に触れたごはんは腐るのが早くなった、というのである。

で、もう一つの黒く腐ったごはんはどうしたのと尋ねると、これは言葉をかけず、無視したものだという。
じつは、この無視したごはんのほうが「ばかやろう」というラベルを貼ったものより、さらに早く腐ったという。

「愛」の反対の言葉は「憎悪」ではなく「無関心」である。
マザー・テレサの至言でる。
「憎しみ」もまた「愛」の一つのかたちである。
「熱くもならない」「冷たくもしない」「嫌い」でもなければ「好き」でもない。
「無視」、「無関心」ほど絶望的なことはない。

先般のYさんの話しにもどる。
言葉ひとつでこんなにごはんが変化するなんて信じられるかと、Yさんに尋ねられた。

この手の話しをぼくはとりあえず鵜呑みにすることにしている。
だって、なんの害もない。
それに、楽しいじゃないか。

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