第117号『懐かしさという名のコンテンツ』

夕暮れ時、JR亀戸駅の近くにあるショッピングモール「サンストリート」に出かけた。
知人との待ち合わせ時間までに少し間がある。
ぶらぶらと、そのモールを歩く。

外側から見れば、ごく普通の小規模なショッピングモールにしか見えない。
しかし、一歩中に入り、気分が一変した。

外周から内側へと円を描くように細く、薄暗い通路に小店が並ぶ。
たこ焼屋、カキ氷や駄菓子を売る店、アクセサリーや小物を扱っている店が、まるで下町の路地を思わせる。
そして、その路地を潜るとぽっかりと円の中心にある広場に出る。
この広場に立ち、ぐるりと回りを見渡すと、看板が軒に並ぶ。
壁の色も黄、赤、青とけばけばしい。
全体に継接ぎだらけで、おしゃれな景観からは程遠い。
有体に言えば、むしろ野暮ったい。
でも、その風景はいつかどこかで見たような気がした。
そして、なんだか妙に懐かしい。

ついいましがた歩いてきたJR亀戸駅からの町並みは、パチンコ店があり、銀行があり、自転車が雑然と並び、コンビニとファーストフードのチェーン店が並ぶ。
それは、中央線の高円寺でも、あるいは京浜東北線の蒲田でもごくごく普通に目にする風景である。
駅の看板を差し替えれば、そこがどこの街であるかも分からなくなりそうなほどに、みな類似している。

いまやこの亀戸という街には下町の風情などない。
それは、亀戸ばかりでなく、ありとあらゆる下町が同じ経緯のなかにある。

そして、まぎれもなく「サンストリート」はどこにもない下町の懐かしさを演出したモールだと気付いた。

もはや、どもにも行き場のない気分。
それでも、蠢きながら流れ着いた場が「懐かしさ」である。
『冬のソナタ』も『世界の中心で、愛をさけぶ』のどちらも「純愛」という、もはや存在しえない懐かしい愛のカタチであり、セブンイレブンの棚にならぶ50年代、60 年代に流行ったお菓子類も、すべてそのキーワードは「懐かしさ」というコンテンツで括られる。

新しいものを追いかけた果てに行き着いたものが「懐かしさ」だったのだろうか。

あまりに秀逸な作品で話題になった映画『クレヨンしんちゃん「大人帝国の逆襲」』は、紛れも無くそうした気分を掬い取っていた。

そこには、成長という虚妄から開放された大人が、いまや、廃墟としての未来を常に現在として感じながら生きていくしかない、という病理に囚われている姿が描かれていた。

広場に立ち、夕暮れに染まる看板を見ていると、笛と太鼓の音が流れてきた。
夏の宵祭り、父、母、弟と花火や金魚掬いをして過ごした遠い日の思い出が不意に蘇ってきた。

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◆◆◆お知らせ◆◆◆

13日と20日は夏休みとさせていただきます。
次回、ファンサイト通信118号は8月27日(金)配信させていただきます。

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