第920号『パラリンピック競技TV観戦記』

【米岡選手のガイド役として】

連日、パラリンピック競技をTV観戦しながら声援を送っている。

準決勝戦でイギリスに敗れはしたが、見事な戦いぶりでオーストラリアを破り、銅メダルを獲得した車椅子ラグビー。
毎回、迫力ある攻防戦を繰り広げている男女の車椅子バスケット。
水泳も陸上も卓球も柔道も、テニスもボッチャも、彼ら彼女らの戦う姿に圧倒され感動している。
そうした中で、自分も長く競技に参加しているトライアスロンは、さらに観戦に力が入った。

28日に行われた男子パラトライアスロンでは、宇田秀生選手(運動機能障害PTS4カテゴリー:右腕 肢体不自由 )が銀メダルを獲得した。
さらに、同日行われた視覚障害カテゴリーの部門で米岡聡選手とガイド役として伴走した椿浩平選手が、3位銅メダルでゴールした。
ゴールの瞬間、僕も思わず叫び歓喜の声がでた。
女子では、秦由加子選手(運動機能障害PTS2カテゴリー)、円尾敦子選手(視覚障害)も最後まで諦めない最高の走りを見せてくれた。

余談だが、トライアスロンをやっている倅、次男の勇気が米岡選手にパラトライアスロンへの扉を開くきっかけを作り、そしてガイド役を努めていた時期もあり、いろいろと苦労したエピソードも聴いていたのでなおさら嬉しかった。

翌日、29日には入場式で旗手を務めた女子トライスロン谷真海選手(運動機能障害PTS5カテゴリー:右足 肢体不自由)と、夏冬合わせて日本史上最多8回出場の土田和歌子選手(PTWC:車椅子)、そして木村潤平選手(PTWC:車椅子)が出場し、メダルにはとどかなかったが見事に完走した。

パラトライアスロンだから、トライアスロンとは違うのかといえば、基本的には変わらない。
同じ海で泳ぎ、同じコースを自転車で駆け、そして走る。
この3種目を続けて行い、そのスピードを競う。
ただ、義足や義手や車椅子、そして伴走としてのガイドなど、それぞれの障害に応じたギアを使うことが違う点である。

想像してみた。
もし自分が、流れもうねりもある海で泳ぐとしたら、それも片手で。
もし、片足でバイクのペタルを高速で回し続けるとしたら。
もし、盲目で一寸先が見えない中を走るとしたら。

素人に毛が生えた程度ではあるが、自分も同じトライアスリートだから分かることがある。

例えば、片手で泳ぐことがどんなに困難なものか。
例えば、片足で自転車のペダルを漕ぐことが、そして片手で自転車を操ることがどんなに難しいことか。
例えば、義足で走るために路面の変化にどう対応するのか、どうやってバランスを保つのか、と。
どうしてこれだけのパフォーマンスを生み出せるかと、関心してしまうことだらけである。

だから、海で泳ぐフォームや、バイクを操りコーナーをすり抜けていくテクニックや、ランの重心移動のタイミング、そしてスイムからバイク、バイクからランへと移り変わるトランジションの素早さなど、トライアスロンとなんら変わることなく、いやそれ以上に選手の身体条件を含めた駆け引きを楽しんで観ることができた。

ゴールしたアスリートたちの弾けるような笑顔、溢れる涙、そして倒れ込むほどに全力を出し切った姿を見るたびに、僕は涙する。
それは、彼ら彼女らがここに辿り着くまでに流した汗と涙の数を感じてしまうからだ。
そもそも身体にハンディを負うことになった時、それが事故であれ病であれ先天的なものであれ、その深い嘆き悲しみはいかばかりのものであっただろう。
そして、光をみつけるまでの心の闇と、どのくらい向き合ったのだろうか。

ゴール後のインタビューに応え、いまの状況下での認識についても逃げずに話し、だからこそ開催されたことに対し異口同音にまわりへの感謝を口にする。
そして、そこから感じるのは、謙虚さ・ひたむきさ・続けること・諦めないこと・・・。
パラアスリートたちは、困難なハンディを乗り越え、人生はやり直すことが出来ることを証明してくれる”敗者復活戦の戦士”たちだ。

同じ競技を目指しているものとして、出来ることではなく出来ないことをあれこれと言い訳している自分が恥ずかしくなった。
今回、僕自身にとってこのパラトライアスロンのTV観戦はトライアスロンという競技への向き合い方はもちろんのこと、残された時間を生きることの意味を考えるうえでもよい機会になった。