随分前の、あの安達祐実ちゃんの頃の名セリフですね。
結構、流行った気がします。
こんな旧いセリフをいま思い出したのは、最近の子供への虐待や殺害事件と、それらに対する周辺の人々の反応です。
とりわけ、小山のケースなど実際、胸くそ悪い気がしませんか?
まず、父親。
覚醒剤男と同居すれば、どうなるか、本人も暴走族のおアニイさんだったら先刻ご承知の筈、記者を前にしたコメントなんて空々しい。
また児童保護の担当員、泣いて「ゴメンネ」なんて・・・。
近所のおばはんも、かわいい子だったのにと、めそめそ。
祖母に至っては「悔しい」と繰り言。
皆さん、やることがいっぱいあったのではありませんか?と言いたい。
要は無責任の連鎖、泣いたり、同情したりで済むのならそれだけのことです。
考えるに、殺された幼い兄弟は、身内にも、地域にも、果ては社会にも実は足でまといだったということでしょう。
本当に同情するなら、何かの工夫があってしかるべきだと思います。
最近、中央アジア・ウズベキスタンの地方都市、ヒバより帰国しましたが、そこでは身寄りがない子、身障で生まれた子たちは、みんなで育て、働けるようになったら下働きや町の清掃などで暮らしが立つようにしているとのことです。
そして街は清潔で、子供達は皆愛くるしいのが印象的でした。
そこはけっして豊かな土地ではありません。
でもこうした、すべてが無責任による事件の発生は皆無のようです。
資本主義の本質は、「不要なものは、切り捨てることにある」そうですが、高度に資本主義化した日本では、体制どころか、人心もムダを排除するようになったのか、空恐ろしい気がします。
そしてまたこうした事件は、後を絶たないだろうとも思われ、暗澹たる気分です。
なにか具体的にできることはないのでしょうか?
「同情するならカネをくれ」、殺害された兄弟の気持ちかもしれません。