流行のちょい悪オヤジの、隠れ家での艶っぽいお食事ではありません。
定年退職し子供達も育ったシニア家庭の夫婦ふたりの食事です。
オヤジ側からは、いつも同じ老妻の顔を眺めつつつき合う食事であり、妻の方から見ると、しけた、濡れ落ち葉化した連れあいのための、仕様がなくつくる食事で、心躍るどころの話ではないようです。
しかもそれが3度となると一種の苦行とも言いたいとかで、食事は楽しみどころではなく、義務。
さらに先行きを考えると健康を意識せざるを得ず「塩分、脂質控えめ」とつくるメニューも冒険やチャレンジとは程遠いと言う具合です。
いやはや。かく言う私が、まさにぴったり・・・。
そしてこうした夫婦二人の食事は、今後増大しこそすれ、減ることはないでしょう。
そんなわけで、無味乾燥になりがちな「ふたり食事」を、楽しい暮らしの営み変えていくことは、高齢者マーケティングの基本となるものと思われますし、またここに大きな市場潜在力があるようにも思えるのです。
が、見渡すところこうした市場に着目する動きは見られないのはなんとも不思議です。
外食、中食、内食と食市場とそれに付帯する流通サービスも含めた食関連市場はニーズを開発しつつ大きく拡大してきたわけですが、こうしたそれぞれの市場において、いまシニアの増大に伴う新たなニーズを満たす方向に動いているかと言うとまだまだではないでしょうか?
以前から思っていることですが、食に限らず、ファッションなどについても、私たちマーケターは、シニアというと、いまひとつ気乗りがしない傾向にあるようです。
その理由は、ひとつは「若さが価値」であったこと、もう一つは、おそらく面白くない、夢が描けない、評価されないなど極めて情緒的な気分に強く影響されているのではないか、と思います。
そんなわけでバブリーな時期にはマーケターも元気ゲンキでいましたが、それが弾けると、元気も萎縮、到来する「成熟」とそうした時代のトレンドを直視しないままに一部の富裕層を追う「貧乏人発想」での施策を未だに引きずったままに、徒に「時代を失って」きている始末です。
貧乏人発想と言う気に障る人もあるかも知れません。
貧乏人とは、もちろんお金やモノの乏しい人をいうのではなく、所有を前提に拝金主義、拝物主義の人を指します。
彼らが価値とするのはお金の多寡であり、顕示的な豊富さ、豪華さです。
食事で言えば、それを餌と考える人であり、価格の多寡をステイタスとする人です。
しかしこうしたライフスタイルは、過去のものとなりつつあります。
粽の老舗である川端道喜さんでは食べるわけではない笹の葉にとりわけ細かく心配りをしているとのことですが、そんな価値観こそが大切で、シニア市場の拡大とは、この種の価値が判りそれをライフスタイルとして採用する人々の時代の到来でもありましょう。
「いいものを安く」は、どの時代でも当てはまる基本ニーズだと思われますが、シニアの市場参入によってこの基本ニーズの中身は大きく変わろうとしています。
「ふたり食事」には、
・量よりは質、・暮らしのアクセントとしての食
・楽しく2人が向き合うための食卓や食卓づくり
・文化文脈に沿った食の共育など新しい課題満載
これからの格好のマーケティングテーマとなりそうです。