企業の優位性を訴えるとき、通常論議されるのは技術の差異であり独自性です。
もちろんこれは大きな要素であることは事実ですが、一方大切なことは企業の活動や成功は、モノを創ったりするプロセスではなく、顧客を満足させるプロセスであるということではないでしょうか?
テクノロジーが多様化し、先端技術が話題となる今日、こうしたことはつい忘れがちです。
顧客にすれば、製品やサービスが、どのようにしてつくられているかはまったく無関係で、その製品・サービスが、どのように満足させてくれたか、が製品・サービスの価値だからです。
こうした当たり前の事実は、経営をする側のマネジメントスタッフは、熟知しているはずですが、日々の活動の中では、対局的な話より、細部に関わることが多く、その結果ともすればなおざりにされる傾向が強いようです。
このことは、最近、会社案内やサイトのリニュアル会議に参加して感じるところです。
したがって私たちは、第三者という立場を意識的に強調し、クライアントの視点とは引いた視点で、組織やステークスホルダーにとって感動的なミッションの訴求や方向性を認識して貰うよう努めることも必要となりましょう。
最近、ハーバードビジネスレビュー(ダイヤモンド社刊)が創刊30周年記念号と銘うって「偉大なる経営論」特集を刊行しました。
お読みになった方々も多いと思います。
そのなかで目についたのがT・レービットの「マーケティング近視眼」と言う余りに有名な論文です。今回のタイトルは彼の言葉の引用です。
彼に寄れば、成長産業の歴史を調べると、企業は急激な拡大という成長を迎えて後に思いがけない衰退が訪れるといった、「思い違いの繰り返し」であり、成長のチャンスを創り出し、それに投資できるように組織を整え、適切に経営できる企業だけが成長できると結論づけています。
したがって成長産業などはないと言う主張です。
確かに外食産業、情報産業、金融産業、バイオ産業など、産業が時代の成長株と言われても成功する企業もあれば、失敗する企業もあります。むしろ2%位しか成功の割合はありません。
この論文が発表されたのは1960年と言われていますから、いまから約半世紀前。まさに温故知新という気がします。
多くの企業は、いま変化に見舞われていますが、企業活動の目的は、明日の成長産業に身を置くことではないかもしれません。
また、ここで企業が間違わないためには、変化への認識と自社の考えをも含めた企業資源への謙虚な反省でしょう。
同時に、いわれのない成長幻想、ブランドや技術への過信、マスプロダクションとコスト低減の競争力優位への思い込み、低価格志向などを廃し、顧客満足の中身をチェックし洗練させていくべきかもしれません。
そのためにも耳は、外部に向いているコトが大切でしょうし、業者である私たちは、クライアントに痛いことを耳に入れる、いささか物議を醸す勇気をもって異論を唱えることもサービスのあり方として考える必要がありそうです。