ペリエ・ジュエと聞いて、あのシャンパンね、と思い至る人は相当の通。
ペリエ・ジュエとはシャンパーニュ地方に、ピエール・マリー ペリエとその妻アデル・ジュエにより設立された会社で、婦人の名前をとって、【ペリエ・ジュエ社】と名づけたそうです。
ここのシャンパンは品質の良さで人気を集め、その人気は、かつての著名ホテル「サヴォイ」で第一番の人気だったとか。
まったくシャンパンに縁のない私がこの酒を気にしているのは、実は同社の「ベル・エポック」とネーミングされたシャンパンのポスターの所為です。
白いアネモネの花の深い緑のフロスティなボトルとそれに閉じこめられたかのようなローブデコルテの美女によるこのポスターはオスカーワイルドをモチーフにした、久しぶりに心を揺さぶられる美しさです。
まさにポスターの耽美はシャルドンネの繊細さと上品な、しかもやや放埒なエロスの甘美に陶酔させてくれそうで、この抗いがたい誘惑に勝利するのは難しいほど。
美しく酔わせたい作り手の思いと、美しい特別な時を求める人々とを出会わせてくれそうなグラフィックです。
この酒にそそられると同時にヨーロッパのクリエイティブ力をつよく感じ、いまさらに私たちの美の創造性についての非力を思いました。
最近広告が面白くなくなったとの話をよく聞きます。
その原因はどこにあるのでしょうか?
飛躍的に言えばその一番は、文化のあり方にあるのではないか、と思うのです。
いまと、広告が面白かった時代の文化を考えると、大きく変化したのは男と女の関係でしょう。
「戦後、強くなったのは靴下と女」との古い物言いがありました。
この「女性が強くなったこと」は否定するモノではありません。
また男女同権は当然の権利の主張だと思います。
しかし権利の獲得は、同時に女性が自ら女性性を投げ捨てたことでもあったのではないでしょうか?
「男の肩をもつ女性」は新たな美への期待を感じさせましたが、いつしか女性が男を意識しない「女」を棄てた存在になってしまったのは男にとっても不幸なことです。
豊かな消費文化を謳歌したかつての時代は、男が女性の美しさに恋し幻想し、その誤解を受け止めてくれる優しさのある女性がいた時代です。
香水、ファッション、宝石、自動車すべてが美しかったのも男女の恋のゲームの上に成り立っていたからだったと思います。
広告も美しさを素直に表現でき人々の興味や関心を惹きつけるパワーを持っていました。
がいまは違います。
資力をもった女性達はそれらを欲しいままに手に入れることができますが、しかし、それが何になるのでしょうか?
賞賛してくれる他者のいない香りや輝きにはどれほどの美しさがあるのでしょう。
ジャズのスタンダードナンバー「時の過ぎゆくままに」ではありませんが、男がいて、女がいる文化しか美しさは紡げないのではないでしょうか?
このペリエ・ジュエのポスターは変わらぬ恋の文化とその美しさの価値を感じさせてくれた気がします。
いいな、ペリエ・ジュエ。
桜が散る季節、この酒を賞味するにはアネモネのように期待とはかない夢を味合わせてくれる不実で甘美な女性とステージが必要なことは言うまでもありません。