「トヨタは陰徳です」。かつてトヨタの副社長、張 富士夫氏に企業風土について取材させて頂いた折に、同氏が言われたのが「陰徳」。
陰徳とは「陰徳有る者は必ず陽徳あり」で、すなわち「人に知られずに善い行いをすれば、必ずよい報いを受ける」と言う意味です。
准(え)南子(なんじ)の人間訓からの出典だと記憶しています。
流石に剣道で培った精神の持ち主で古典にも素養があり、氏の居住まいには古武士の風格があったことはいまでも忘れられません。
氏は、アメリカでのトヨタの成功を導いた方で、まさにトヨタのものづくり精神「カイゼン」を世界に敷衍させた優れたリーダーのお一人です。
▼なぜトヨタが・・・?
しかし、一方「陰徳」については、それを流れに任せずに陽徳へと結びつけていくことも、これからのトヨタにとっては大切とも氏は言われました。
このことは、アメリカを中心に起こっている「トヨタパッシング」報道を見るにつけ、思い出されます。
陰徳が徳として成立するのは、血縁・地縁・社縁など「縁」でのつながりが基本の社会の存在が前提と成りましょう。しかし、こうした「縁」とは別の価値で成り立っている社会では、「人に知られない」ことは何もしていないことと同じかも知れません。
ましてや市場原理に委ね、「勝者がすべてをとる」ことを許した競争社会にあっては、かつての人々をコントロールしていた精神的な基盤や制度は見事に崩れ去っています。そして人々は「自制」をかなぐり捨てて、膨れあがる欲求のままに、利己的な主張を行わねばならないと生きていけないのです。
「陰徳」の社会は、終わったのです。氏の思いは、そうした時代の予感でもあったと思います。
▼PRの弱さ
今回のトヨタ事件には、いろいろな見方はあると思いますが、私的には、陰徳志向の日本企業のPR力不足、またはPRについての理解の浅さが根っこにはあるのでは?と思っています。
このことは企業だけの問題ではありません。国家、政府、行政機関、自治体、その他あらゆるところに及ぶ大問題でしょう。
情報を取り扱うメディア、マスコミも同様です。
情報の公開と透明性は、いま話題の一つですが、これはPRの「基本のキ」。しかし、私の浅薄な経験では、多くのPRは、「すべてが臭い物には蓋」を目的としてきています。
そして「人の噂も75日」として悪い噂が消え去るのを待ち、一方マスコミその他での噂が紙面を飾らないように配慮するのがPRマンの務めのようにも思えます。
トヨタには流石にトップ企業だけあってPRに携わる広報部には数多くのスタッフが配置されています。
しかし、敢えて言えば頭数が居ればいいと言うことではありません。
▼組織と社会の間に立つ勇気
PRについては、私には忘れられない人Y氏がいます。
かつて新人の時、さる石油化学企業の仕事に携わりました。そこでお会いしたY氏には、今後の広告マンとしての心得のほとんどをご指導頂きました。もはや鬼籍に入られていますが、その方を思うにつけ、どれ程の恩返しができたのか内心忸怩たる思いです。
当時、石油化学業界は、川崎の喘息、四日市の大気汚染など公害、さらには千葉県君津沿岸のコンビナートなどでマスコミや市民団体などからの指弾のターゲットでした。
こうしたことから起きるマイナス情報は、ことをスムーズに進めたい経営からは知られたくない「事実」。しかし、その方は可能な限りマスコミなどにマイナス情報であれ、積極的に公開していました。その結果、社内での評価は、芳しいどころではなく「気狂い」と陰口叩かれたほどです。
語り口も激しく、性格も「切れやすい」人でしたから誤解もされがちでした。
私も若造のくせに生意気でしたから、よく口論もしました。
しかし、振り返るにこの方の身を捨てての動きは、結局はマスコミ記者の好感を得て、情報への信頼性をどれほど高めたことか、図り知れません。
常に正論を言えばいいわけではありませんが、ご都合主義だけでは人も社会も認めません。
トヨタで言えば、官僚主義がはびこりすぎて組織と社会にモノを言う人材が不足しているのかもしれません。その結果、大衆消費者社会の基盤である社会との対話への努力が希薄となったことが、トヨタを苦しめている現象の一つの遠因と言えないでしょうか?
「技術は完璧」ではあり得ません。この永遠の事実をトヨタはもっと勇気を持って社会に向け主張すべきです。
「トヨタには人材がいない」と張氏。今にして思えば、真実の思いだったのかも知れません。