第20回 まじわり

Ataturk Airport
Ataturk Airport

決算月。
日本の多くの企業が決算日を3月末に設定しているのには、理由があるようですが、
教育機関の年度区切りが3月のため、幼い頃から3月が節目の月という意識が、
僕にもしみついております。

そのような節目の月に、日本にいないため、なんとなく喧騒から逃げている自覚もあり、
周囲に申し訳ない思いもあるのですが、これはこれで仕事として訪欧です。
お客さまのご厚意でイスタンブールをハブとして、尊い経験をしています。

このイスタンブールの空港(Ataturk Airport)は、
乗換のために比較的長い時間滞在することも多いのですが、
行き来する人々を見ていて、実に面白く、退屈することなく長時間過ごせるのです。

東西文明の十字路として栄えたといわれるトルコを訪れる人々。
手荷物の大小から、交わす言語、もちろん肌の色、目や髪の色まで、異なる人々です。
宗教もおそらくそうなのでしょう。
遅延した便のために乗り継ぎに走る人、道を譲る人、ソファに横たわり疲れを癒す人、
なんとなく目が合えば気さくに話したり、ペーパーバックに目をふせ接触を拒んだり。

単一民族のため、人種やときとして性別すらもその違いを意識する機会が少ない僕には、
この空港での時間が実に興味深く、そして実りあるように感じるのです。

ふと隣を見ると、携帯電話でスカイプを使い、家族と連絡をとる大柄の金髪の男性が、
その向こうには、ラップトップPCにむかい手を振り投げキスするデニムの女性が。
通信環境の発達により、驚くほどに世界は狭くなり、東西文明の十字路においても、
例外なく、異国にむかってメッセージを発信できることができます。
このような光景を見て、距離という概念が急速に変わっているような気になります。
かくいう僕もLINEで日本のオフィスとやりとりし、仕事の大半はできてしまうのです。

そうなると、本当の価値はどのようなところにあるのでしょうか。
いとも簡単に距離(時間)を超えられる世界での本当の存在価値のことです。
そこにいなくても、その人があたかもいるかのごとくできてしまうわけですから、
本当の価値を見出すこともなかなか難しくなってきます。
というより、価値は非常に限定的になってくるというか、
例えば、実際に触れることの価値が極めて高くなってくるような気がするのです。

リアルに体験するとか、五感すべてで感じるとか。
そのようなことこそに、本当の価値がでてくるのでしょうね。

だからこそ、人には実際に会って話してこそ価値があるし、
スポーツの試合は会場に足を運んでこそ価値があるし、
楽しいことも悲しいことも自分で経験してこそ価値があるのです。

イスタンブールの空港(Ataturk Airport)の、人々の往来、
その吐息、交わす言葉、空気、すべてを五感で、東と西の交わりを感じることで、
信仰や格差、差別や虐待、世界にある様々な問題を
少しずつ実感として、考え始めています。42歳にしてようやく。

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