「目一代、耳二代、舌三代」という言葉があります。
僕なりに感じるところで解釈すると、
視覚に訴える画家などは、「一代」で大成することも可能なのでしょう。
ゴッホなどの芸術家は本人一代の努力で極めることができるのですね。
聴覚に訴える音楽家などは親の影響が大きく、
モーツァルトは、父親の音楽を聴いて育っています。耳は「二代」なのです。
味覚は祖父母の影響をも受けるもので、
本当のグルメになるには「三代」かかるということなのでしょう。
祖父母から孫へと伝えられて・・・。
なるほど、環境が人を育てるのでしょうし、それは引き継がれていくものです。
音楽や味に限らず、作法や物事に対する考え方が、
両親や祖父母の影響をうけないわけはありません。
友人や諸先輩方の影響を受けることも多々あります。
引き継がれていくものが、文化や伝統、歴史という言葉に昇華されていく段階では、
もはやそれは三代ではなく、何百年という単位にまで続くものとなっています。
山手線一周ほどの広さの巨大テーマパーク「Paris」は、その隅々にいたるまで、
「舌三代」を重ねた文化です。本物の凝縮といえます。
この環境下で育つ若者の感性とそうでない者の感性とが相容れることなど、
とうてい難しいのではないかなと、思ってしまうのです。
セーヌ川の川岸でピクニックをするParisianや
カフェで週末のひとときを友人と待ち合わせするParisienneの仕草が、
何か少しカッコよく、お洒落に感じてしまうのは、
積み重ねた、色々な人生がそこに表現されているからなのでしょう。
伝統に裏打ちされた自信ある振る舞いが、羨ましくも感じます。
けれど、彼らと接することで本物のエッセンスを自分なりに吸収して、
それを自分自身の「一代」に加えることができるのではないでしょうか。
そうして豊かさを身につけて、次の世代に繋げられれば、
やがて「舌三代」になるのでしょう。
どのみち人生は「一代」です。
両親や祖父母の影響も受けますし、息子たちの幸せを案ずることもあります。
でも自分は自分で、たった一度の人生です。
本物に触れ、相容れなそうな感性の人たちと交わり、新しい自分を見つけ、
カッコよい選択肢を選んで歩んでいければ、それでよいのでしょう。
ビストロで舌鼓を打ちながら、
友人の料理人が独立したときの師匠からの「はなむけの言葉」を思い出しました。
「自分の味は自分で探せ。」