為替相場のボラティリティの上昇が目立った一週間でした。
各国の中央銀行総裁が、為替相場に関し直接的に言及すれば、
市場はビビットに反応するわけで、プロフェッショナルの金融マンが反応すれば、
当然それに呼応して一般の人々は反応するのです。
ニュースになるのは、そのあと。
多くのエコノミストが語るのは、ちょうどその頃ですから、
「あとからなんて、なんとでも言えるな。」というのが、一般人の感想です。
予測している未来は大方外れています。年末の株価、ドル円相場、米国債、ほぼ全て。
過去について言及しているわけですよね。歴史学者と同じなのでしょうか。
中学生のときに担任だった歴史の先生が、首を横に揺らしながら仰っていました。
「歴史を学ぶことは、失敗をできるだけ回避できるので役に立つ。」と。
なるほど、過去を振り返り、致命的な失敗を回避することが可能になるのでしょう。
四半世紀、仲よくしてもらっている親友の一人は、非常に優秀な経営者ですが、
過去を振り返り、恐怖で統治した君主は継続的な支配ができないと学び、
現場にすべて任せる「超・放任主義的経営」で、大きく業績を伸ばしています。
彼は、よく歴史を語ります。日本の歴史、世界の歴史。
そしていつも最後にこう言います。
「結局最後はヒトだよ。モノもカネもジョウホウもヒトがつくる。」と。
なるほど、多くの人がよいと思って購入する商品もサービスですから、
その声に耳を傾ければよいわけです。
提供する側もその多くの人の一人ですから、
経営者のエゴなどではなく、現場の声が商品やサービス品質を決めていきます。
友人はそうしているのです。
考えてみれば、相場もそうです。
多くの人がどう思うかによって、相場が動かされています。
時に実態を離れて、各国の中央銀行の思惑を離れて、動きます。
「相場は相場に聞け」という格言はまさにそうで、
多くの人の声に耳を傾けることが肝要なのです。
ときどき、多くの人の声を忘れそうになります。
自分自身が見えなくなることもあるでしょうし、
信じて進んでいる道が正しくなく感じることもあるでしょう。
前掲の担任の先生の言葉を思い出します。
「歴史を学ぶのも大切ですけれど、笑顔で今を生きることが大切です。」
園芸部の顧問でもあった彼が、中庭のバラの害虫を駆除しながら言った言葉です。
「キモイな。」と当時は思っていましたが、
いま僕はなんとなくその意味を理解しかけています。
大切なことや笑顔を忘れかけたら、喧騒を離れて休憩してもよいでしょう。
大切な人と歴史を語ってもよいかもしれません。
マルク・ブロックの「歴史のための弁明」の冒頭にこう書かれています。
「パパ、歴史は何の役に立つの?」
少年が父親に問いかけるのです。
さて、なんて答えましょう。
役に立たなくても、学んだって構わないのだと、まずは教えたいものです。