東海大相模の優勝で幕を閉じた、100周年をむかえた夏の高校野球。
同時に終戦70年をむかえた2015年の夏は、
いろいろな節目として、記憶にも記録にも残る夏だったのではないでしょうか。
安保法案をめぐって、「法的安定性」というキーワードが「ミヤネ屋」でも流れ、
それこそ選挙にすら行かない人々の間でも安保法案や憲法改正が議論された夏。
法的安定性は立法趣旨と対で論じられる言葉ですが、
要するに終戦70年をむかえ、そもそも憲法の在り方や国家のスタンスが、
時の流れとともに変化を伴い、その中で価値を問われている状況だということです。
70年といえば、およそ人の寿命で、ひとつの時代を示す期間といえ、
70年周期という言葉もよく聞きます。
明治維新から第二次世界大戦開戦までが、およそ70年。
そして終戦から70年。
新しい秩序や常識が議論されるのが自然なのかもしれません。
100年続く夏の甲子園。
単にスポーツの祭典というだけでなく、母校や郷土への思い、
参加する者、携わる方々の様々な思いが交わって、大きな感動を呼ぶイベントです。
その精神の根底に「日本学生野球憲章」というものがあります。
時代の変遷とともに6回の改正を重ねているのですが、
今なお制定時の姿を維持している前文に次のように明記されています。
「学生たることの自覚を基礎とし…
試合を通じてフェアの精神を会得する事、
幸運にも驕らず、悲運にも屈せぬ明朗強靭な情意を涵養する事、
いかなる困難をも凌ぎうる強靭な身体を鍛錬する事、
これこそ実にわれらの野球を導く理念でなければならない。」
野球がベースボールとは異なり、柔道や剣道と同様の「球道」であること、
夏の甲子園が単なるイベントではなく、積み重ねてきた精神が実在すること、
それらが、根底にある変わらない野球憲章前文の理念から理解できます。
変わらないものがあるから、100年もの間続くということです。
100年間続く、球児たちの汗と涙によって、
野球を観ているだけの僕たちの遺伝子にも、その理念は記憶されていきます。
なるほど、スポーツに限らず、茶道や華道がそうであるように、
「道」をつくり基本的精神を紡いでいくことは、僕たち日本人の特技なのでしょう。
礼節を重んじ己を完成し、世を補益するのが、すべての道の出発点です。
優勝監督である門馬氏は、恩師である原貢監督の石碑に刻まれた
「和と動」という言葉を、今大会、意識し続けたとのことです。
全ての始まりは人と人との「和」であり、互いの立場や意見を尊重し合いながら、
自分の信念を持ち続けるから真の「和」が創られ、
そこから生まれた「動」が価値のあるものになっていくという意味のようです。
信念を持ち続け、「道」を歩んでいる方の優勝というひとつの足跡を見ることで、
僕たちも「道」を意識することができます。
世間では不惑といわれる時期が訪れても、道半ばであるということです。
今後も迷い続け、歩み続けてよいということです。
そして、僕自身がそうであるように、多くの人もそうで、
そのような人たちの思いによって、この国も歴史を紡いでいくのだと、
変わらないこと、新しいことを積み重ねていくのだと、
強い己を確立して、互いを尊重し、議論をつくすべきなのだと、
考えさせられたのでした。
それにしても夏の終わりは、さみしいものですね。
優勝校の校歌、蜩やツクツクボウシの奏でるハーモニーに、
こみあげてくるものを感じ、
一石を投じてくれた記念の夏にお別れを告げ、また新しい季節をむかえます。