第49回 あゆみ

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Choicesのレジで”Merry Christmas”と挨拶をかわして、
年末は東京に戻り忘年会。
寿福寺に除夜の鐘をつきに厚着で出かけ、年が明ければ元八幡宮で初詣。
節操ないと神様に怒られるのではないかと思いながらも
もはやイベントとして宗教的行事を楽しんでいるのが、
僕も含めた多くの日本人の現在なのでしょう。

2016年は、祖母の他界でスタートし、
火葬場から帰宅して、1時間でパッキングしてそのまま成田空港へ。
親友の結婚式に出席するために機上の人になり、
世話になった祖母のことを考え、人生の儚さを感じるのでした。

95歳で亡くなった祖母は、大家族の台所を担っていたこともあり、
料理の上手な人でした。いわゆる「おばあちゃん」。
帰宅してその笑顔を見るとなんとなく安心するという存在で、
とにかく家族に尽くす献身さしか記憶にありません。

言うまでもなく、最期は築き上げた資産も名誉も資格も「無」になるのが、
他の生命と同様に人間の宿命で、それが故に限られたひとときが美しいのでしょう。
そのような感慨に浸る間もないくらい同行者が笑わせてくれ、
6時間はあっと言う間。いつものフライトより睡眠不足で祝宴へむかうことに。

Amazing!
果てのないホスピタリティと類のない自然をカラダ中で感じさせてくれ、
数日間にわたるイベントは進んでいきます。
この歳になるまで感じたことのない高揚する感覚は、言葉にはし難く、
それはそこにいた誰もが感じたことだと思います。
文字通りの「しあわせ」を実感したのでした。

ヒトは「しあわせ」になるために、日々過ごしているのだと思います。
その定義はヒトそれぞれ異なるでしょうが、
僕にとっては、心身の健康と家族や仲間と笑って過ごすことこそが「しあわせ」です。
やはり、何をするかということも勿論、誰と歩んでいくかということが、人生大切で、
それは、常々思っていることではあるのですが、
親友たちとの交流は、あらためてそのことを考えさせてくれる機会となったのです。

ローカルに紹介された屋台のガーリックシュリンプも、
険しい泥沼のハイキングロードも、
滝壺での大声疾呼も、
スタンドアップパドルで追いかけたタートルも、
真心こもったB級スピーチも、
すべてが、僕にとっての「しあわせ」の要素です。

ビーチに残るサンダルの足跡を波が消し去ってしまうかのように、
儚い人生の最期には、何も残らないことを祖母は教えてくれました。
だから、共に歩むひとつひとつこそが、人生そのものなのでしょう。

宴のあと、彼らが新たな一歩をふみだすのと共に、僕もその一歩をふみだします。
Had the best start to the Year!!
2016年の幕開けは、最高のものとなりました。

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