第67回 コーヒー・ルンバ

 いつの頃からか定かでないのですが、僕はとてもコーヒーが好きで、オフィスに朝から晩までいれば、20杯近く飲むこともあり、それが決して大袈裟でないことは、身近にいる方々が証明してくれます。夏の暑い日でも、温かいコーヒーを好み、アイスコーヒーは学生時代を最後に飲んだ記憶はありません。
 オフィスでは、Nestleのマシンが、ボタン1つでカップにインスタントとは思えないような美味しいコーヒーを注いでくれて、粉がなくなる頃になると勝手に配達されます。自分の消費ペースに合わせて自動的に配達されるシステムに感心しつつも、ときどきは、ペーパーフィルターでドリップした不便なそれを味わったりもしていました。

 その世界最大の食品・飲料会社Nestleが本社をおくヴヴェイを眼下に、一見優雅にカフェバーで友人とコーヒーを飲みつつも、どこか心の中で分不相応だなと、心底エンジョイできない自分がいるのが実は正直なところでした。言葉を失うような絶景も皿に盛りつけられたあまい野菜も彼等にとっては贅沢ではなく日常であって、スニーカーで気楽に入店でき、千円もあれば十分に楽しむことができるにもかかわらず、その日常があまりに自分自身の日常とかけ離れているからなのでしょう。ただ、これが日本人の気質なのだな、余暇を思い切り楽しめないのだな、と小さなハートに苦笑しつつ、世界中どこの国でも勤勉と評価され続けてきたDNAを愛おしくも思ったりもするのでした。

 仕事という名目の旅を終え帰国すると、そこにはもう一つの日常があり、フライトの間にたまったメールをチェックする自分に安堵感に似た感覚を覚え、想像以上に暑く心地よくない東京の雰囲気に納得するのでした。やはり僕は日本人なのだなと。日曜日であるにもかかわらず、シャワーも浴びずにオフィスに戻り、Nestleのマシンのボタンに手をかけると、見下ろしたレマン湖の風景が頭を過ります。
 ふと、「いや、たまにはペーパーフィルターで。」と、挽いたコーヒー豆を手に取ると、袋にはおそらく最後の一杯と思われる量が。買いに行かねばと、地元の小さな珈琲専門店を思い出しました。

 「かたせ工房」は、僕より少し年輩の男の人が一人で経営する地元の小さな珈琲専門店です。4畳くらいの小さな店舗で100グラム150円のグァテマラを僕たちは好んで飲んでいました。なくなる頃に配達されるNestleと比べれば、自宅から10分程度歩かなければならず不便ですが、目配せで「いつもの」を用意してくれる店主は、10年以上僕の日常にある珈琲店です。
 随分ご無沙汰したなと思いながら訪れた店の前で見た貼り紙に愕然としました。もう1カ月も前に健康上の理由により閉店されていたのです。何か、大切なものを忘れていたような、そんな気がしました。利便性、合理性、経済的価値…本当に大切なもの、一体何なのでしょう。

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