僕のブログのタイトルは「わるくない記述」です。
どうも昔から、この「わるくない」という言葉がすきなのでブログ名にも使わせていただきました。
この「わるくない」というのは「悪くない」ですが、これは責任逃れの「俺は悪くない」ではありません。言うなれば「この味は悪くないね」と言うときのあれです。
世の中にあるものは「良い」と「悪い」の2つだけではないはずです。例えば僕はライフワークで小説を書いているのですが、自分の書いたものを心から「良い」と思ったことはありません。大体、「悪くないかな」という感想が出てきます。そして実際に僕の作品を読んで「良い」という人もいる一方で「悪い」という人もいます。どちらでもない人もいるし、それは「良い」と「悪い」の割合の問題になってきます。要は人それぞれなのです。
こう考えると、自分の考える「良い」「悪い」を大きな基準にはできません。個人的な趣味のこだわりならともかく、人に読ませるものですと特に顕著です。それを判断するのはいつも読み手であり、その人が置かれた文脈に左右されるわけです。しかし、作る側はこの揺らぎ全てに付き合うことはできません。
だから僕は、「悪くない」という地点を意識することはとても大事だと思っています。最大限、今の自分が考えうる「悪さ」は取り除いた、あとは読み手(ユーザー)の希望に添いたい、という「悪くない」地点。言うなれば最大公約数的な「良さ」を持った地点を見つけ出せること。
出来たらそんな「悪くなさ」を持った「わるくない記述」を、仕事でもプライベートでも目指していきたいと思っております。