【歯神社】
二週間ほど前、食事中に左上の奥歯がバキッと鈍い音とともに折れた。
一瞬、なにごとが起きたのかと驚いた。
そして、恐る恐る折れた義歯を口から吐き出した。
近所の歯科医院に予約を取り、治療が始まった。
自分の身体的な弱点はどこかと言えば、歯である。
学卒で就職した映画会社(日活ロマンポルノという作品群の製作をしていた時代である)で、その弱点が出た。
仕事は、撮影現場での雑用。
監督の身の回りの世話から、ロケ弁当や深夜食(ファミレスもコンビニも存在していない時代のことである)の手配、撮影部と録音部の揉め事の整理整頓(このエピソードだけで一晩語れる)、時には撮影に登場するワンちゃんの餌や水やり、そしてもちろんウンコの後始末、極めつけは女優さんの前貼り(映倫の基準を通過するために必要だった)のアシスト、等など。
いまでは、笑い話としてしか語れないような出来事ばかりであった。
ともかく、現場はキツかった。
朝早くから深夜まで、休む間もなく働いた。
そして一年を過ぎたあたりに、突然お腹のまわりが痛痒くなり、みると帯状に湿疹が出来ている。
そう、帯状疱疹だ。
さらに、奥歯がグラグラし始め、そして突然抜けた。
しかも、立て続けに3本も。
放置したままの状態で仕事をしていたが、抜けた前後の歯まで支障がでてきたので撮影所の近くにあった歯科医院に駆け込んだ。
治療をしてもらった後、歯科医から告げられた。
”このままだと、君の歯は60歳にはほぼ無いかもしれない”と。
ホラーのような実話である。
あれから数十年を経た今、幸いにもどうにかこうにかモノを噛める程度には残っている。
とはいえ、あまり自慢できるほどの内容ではない。
つまり、23歳のときに失った左奥歯の3本はいまもそのまま。
必然的に、右で噛むことが多い。
こうして経年劣化し、右の奥歯もだいぶ傷んできた。
そして、辛うじて残った左の奥歯もいまや危うい状態である。
今回、折れた奥歯を治療が終わったらいよいよ入れ歯を入れる時かと思い始めている。
これまで入れ歯を作らずに済ませてきたのには、理由がある。
まずは、食事がまずくなるのではとの懸念。
そして、いちいち付けたり外したりと手入れも面倒。
なによりトライアスロン競技時(泳ぐ・漕ぐ・走る)でのパワーを出す瞬間、噛む力に違和感が起きるのではないか。
しかし、もはやそうも言っていられない状況である。
であればと、幾つかの質問を携え医師にお尋ねした。
インプラントと入れ歯の違いは。
治療のメリットとリスクは。
治療の期間と予算は。
こうした懸念や疑問に対し、極めて明快に答えてくれた。
そしてこの先、つまり来年70歳以後もしっかりとトライアスロンを続けるためにも治療をすることに決めた。
病院を出ると、日差しが強くカッとした太陽が照りつけている。
まだまだお楽しみはこれからだ。
ふと、辺見庸著『もの食う人びと』(食べることを通して世界の人々はどんな暮らしをしているかを綴った紀行エッセイ集の傑作)の一節がうかんだ。
”旅立ちを前に、私は三年も放っておいたすき間に、義歯を四本入れてもらった。砂地の杭のようにグラグラと危うい歯は、隣の歯とともに針金で束ねてもらい、補強した。”
まさしく、僕も70歳代への旅路の前に歯を束ねてもらい補強することにした。