第2回 私の二つのふるさと、キルギスと日本!

こんにちは、皆さん!今日は10月18日、キルギスの首都ビシュケクには初雪!

キルギスは完全に真っ白な山々に姿が変わりました!
キルギスは完全に真っ白な山々に姿が変わりました!

皆さんにとって「ふるさと」って何ですか?
生まれたところ?
育ったところ?
それとも心から好きで、ずっとすみたいところ?

私には二つのふるさとがあります。
その二つのふるさとの存在は私にとって「母」と「父」のような存在です。
皆さん「母」と「父」のどっちが好きですか?と聞かれると何と応えますか?
もちろん「両方」ですよね?
そう、私もキルギスと日本を自分の母と父のように、両方好きで、両方大事に思っています。

2005年、私はキルギス民族大学日本語学部を卒業し、在キルギス日本大使館で行われた日本の文部科学省の国費留学試験に受かって、日本への5年間の留学機会を手に入れました。
この5年間の日本で生活した時間は私にとって人生の一番の宝物です。

日本に来てから5年間の留学時代、私は様々な所でキルギスの文化紹介プレゼンテーション、交流会、料理会などを企画、実施してきました。
たくさんの友達、素敵な仲間たちに恵まれ、日本でどんどんキルギスという国をアピールする活動を広げて、とっても楽しい留学生活を送っていました。
さらに、2010年3月に千葉大学を卒業して、日本で中央アジア・キルギスの旅行をやっている会社に勤め、今度は日本からキルギスに観光客を送れるようになりました。

2010年の4月に私の祖国キルギスで反政府暴動が起き、つい同年の6月にはキルギス南部において民族衝突が。。。たくさんの犠牲者が出ました。
この時期、祖国から離れていた私は、日本から自分の母国のために何ができるのかを熱心に考えました。
そして、日本にいるキルギス人たちを集め、皆で祖国への思いを込めて、祖国の混乱状況で亡くなった人たちへの供養をし、さらに、東京でキルギスの政治状況について報告会を開き、キルギスを思いやるたくさんの日本人の人々から寄付を頂き、それをキルギスの南部の子供たちへ届けました。

日本に入ってくるキルギスについての情報は、残念なことに「危ない」という情報が多いような気がします。
でも、実際にはキルギスは、本当に安全できれいで、本当に素敵な国です。
確かに、一時的に暴動がおきたり、政治的な不安定がおきるときがありますが、でもそのようなことは世界中どこにでもあることだと思います。

私は日本の国民に「平和で素敵なキルギス」をアピールする目的でいろいろ活動しました。
このときの活動については、こちらのURLで詳しく書いてあります。
http://ameblo.jp/mainichi-education/day-20100707.html

その後、2010年の10月に、毎日エデュケーションという会社に転職し、この会社でキルギスと日本の若者交流を目的にして様々なプロジェクトを立ち上げましたが、2011年3.11の震災が起き、私は祖国キルギスに帰国しました。
いいえ、逃げたわけではありません!
私はそのとき、一瞬も帰国しようとは思いませんでした。
周りにいる日本人の友達、同僚、たくさんの仲間と一緒にこの危機を乗り越えることを考え、そのときの心の強い、礼儀正しい日本の国民に感動するばかりでした。

しかし、キルギスにいる私の家族が大変心配していたので、私はうしろ髪を引かれるような気持ちで祖国へ帰らざるを得なかったのです。
帰国後、やはり私の心の半分が日本に残って、キルギスにいる私は今度は日本の国民のために何ができるかについて一生懸命考えました。

そして、そこで立ち上げたのは「サラームキルギス!」というプロジェクトです。
こちらに詳細が乗っています。
http://www.myedu.co.jp/exc/kyrgyz2011.html

そして、キルギスに少しでも興味を持ってくれた皆さんにこちらのビデオを紹介します。
http://youtu.be/fudnthxg1Ac

キルギスより、
バラ

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です