iPad騒ぎの後を引き継いで新型iPhoneの話題が席巻した今週でしたが、皆さんいかがおすごしでしょうか?ツイッターを見ていると、「どう考えても自分は新しいiPhoneに買い替えるべきだ」という言い訳が大量に飛び交っていました。良いと思っているのなら黙って買い替えればいいのに。
…という物欲心理学は置いておいて、前回紹介した電子雑誌について、HTML5という新しくてオープンな技術で表現したという点は至極おもしろいと思っているのですが、電子化されている内容、つまり雑誌の内容については、もうひとつピンと来ていませんでした。マルチメディアという言葉が流行ってCDROMがもてはやされた昔を思い返して、あの電子雑誌は、紙のコンテンツの焼き直しじゃあないだろうかと思ったからでした。
たしかに、紙の雑誌では実現できない、他の情報へのリンクや参照があったり、いくつも新機能が搭載されていることは事実です。しかし、コンテンツという観点から眺めてみると、中心にあるのはSports Illustrated誌そのもので、そこに新機能がぶら下がっているだけとも見えます。HTML5のデモとして作られたのでそれで良いとも言えますが、意地悪な見方をすれば、あれは焼き直しに過ぎません。
そんな中で、あるブログ(「電子書籍はリッチ化とマイクロ化の両方が必要」)を読んで、なるほどと思ったことがありました。新しい酒を古い革袋に入れるなという聖書の言葉がありますが、電子書籍/雑誌の場合にはこの逆で、新しい革袋(デバイス)には新しいコンテンツが必要だと言うべきなのかもしれません。
先のブログでは、コンテンツの方を新しいものにせよと謳って、Podキャストやビデオブログなどで確立した手法が使えるとアドバイスしています。作るなら新しい酒、というのはまったく正統な考えです。
しかし、実際に起こっていることは、古い酒を新しい革袋に入れようとするアプローチです。先のブログではこれを「コンバート型」と呼んで、iPad発売日にツイッターで評判だった京極夏彦の『死ねばいいのに』について次のように書いています。
これは先述したコンバート型のコンテンツであり、紙のつくりをそのままiPadに持ち込んでいる。これでは通勤電車などではいくら頑張っても読み進められない。勘違いのないように断っておくが、京極氏の作品の質が良くないということではない、とりたてて文体が読みにくいわけでもない。従来の小説という枠組がiPadには向かないように感じるだけなのだ。これは紙のための小説フォーマットを踏襲しているからだ。
コンバート型では限界がある、というか不可能でさえあり得る。ではどうするのか?そのヒントのひとつが「マイクロ化」だとブログは述べています。
しかし、ただコンテンツを細切れにすればそれがマイクロ化だという訳ではありません。忘れてならないのは、新しい革袋がもたらすのは、新しいデバイス(ハードウェア)だけでなく、コンテンツの新しい消費スタイルでもあるということです。焼き直しの発想には、デバイスだけを見て、それがもたらす生活習慣の新しさへの視点が欠けてしまいがちです。それが焼き直し発想の根本的な問題になるのだと思います。
1件のフィードバック
ブログ氏の興味は、iPad向けの電子書籍はどうあるべきかという点にあるのだと思えますが、電子書籍問題は実は読むデバイスにもよるのだというお話をちょっと。
京極夏彦の『死ねばいいのに』電子版を通勤電車で読みたいのならば、ブログ氏は、iPadではなく、iPodかiPhoneに入れるべきだったのです。
実際に買って読んでみましたが、実に快適。単行本だったら持って歩くのも大変な上、満員の車中であればページを開くこともできませんが、小さなiPodであれば、どこでもあっと言う間に小説に没入して楽しく読む事ができました。しかも、これは、紙のためのフォーマットを踏襲しているからこそ、簡単に入っていけるので、いっときの「マルチメディア」のような動画があれこれ入っていたりしたら、小説には没入できなくなってしまうのです。それはまた別の作品として楽しむものでしょう。
同じコンテンツをどのデバイスに入れたかによって、こんなにも、ほぼ180度、人の感想は変わってしまうものかと驚きました。
電子書籍問題は、コンテンツだけの問題ではなく、何で読むかというデバイスの問題も、大きくはらんでおるのだなあという感想でした。