第1019号『月満つれば則ち虧く』

「コストパフォーマンス(コスパ)のいい人間」かどうかが大きな評価軸となり、「コスパの悪い人間」は何もしないでいたほうが(あるいは退場したほうが)マシだ、というような言説がまかり通っている。つまり、効率よく最適化された人間のみが輝く、そんな社会こそが幸せである。これこそが資本主義での経済合理性というものであると……。

どんなに頑張ってもなかなか報われない時代が30年も続くと、世代間や経済的な分断での優生思想的な現象が起こってくる。

この国に住む多くの人が、経済的にも政治的にも、まさしくDVを受けているようなものだ。こんな状況があまりにも長く続くと、優しいふりをした人に裏切られるより、DVを受け続け、考えることを停止し麻痺してしまう方がまだましという気持ちにもなる。これは最悪ではあるが究極の消去法であり、自ら望んで選ぶという唯一できる自己防衛でもある。しかも、大方は無自覚にそうしている。

そしてそのDV野郎の最たる例として、昨今の政治家の振舞いには「どうせ庶民はちょろい」と歯牙にもかけず、蛮行を繰り返している。こうした姿は、むしろ社会的弱者にとって「現実がわかっているリアリスト」と映ってしまうのではないか。だからこそ、売春行為・選挙違反・納税意識の欠落・レイシスト発言など、議員たちの反社会的で常軌を逸したような言動や行動がこれほど暴かれても、軽い会釈のような謝罪のみで良しとして済まされているのだろう。

もはや、僕たちは理想を語る人がトンマでマヌケにしか見えないという世界に住んでいる。これはかなり末期的だが、現実がひどければひどいほど、いかにも絵に書いたような正論を語り、ただ声が大きいだけで、その実、人間性が欠落し問題ある人が支持を集める。その一方で、道理を尽くし理想を語る人が嘘つきな詐欺師にしか見えないという逆説に至っている。

では、いったいどうしたらこの状態に対抗できるのか。それは、学びを通して問題点(失われた20年、あるいは30年とは何だったのか?貧困にあえぐ日本の現状は如何にして作られたのか?異次元の金融緩和とは何だったのか?内閣人事局の功罪とは?メディアの機能不全は如何にして作られたのか?)を知ること。そして、どうしたらいまの困難から脱却できるかを考え行動すること。月満つれば則ち虧くの喩えもある。絶望の先に打開策はきっとあると信じて。

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