第1037号『師であることの条件』

毎週1回程度、会社の若手メンバーとの勉強会、「ファンサイトマーケティング塾」を開催している。講義のやり方はリモートで、指定の書籍を(音読で)回し読みしながら都度都度に解説し、最後に意見交換をするという流れで進めている。ほぼ、寺子屋スタイルである。大学と専門学校での非常勤講師を2年前に辞したのに、なぜいまだに続けているのか?伝え、教えるということにはどんな意味があるのか?師弟関係とはどんなことなのか?と自問してみた。

自らも大学教授の職にあった内田樹氏の著書『下流志向』のなかで師弟関係についての記述があり、なるほどと得心した。その話を紹介したい。

内田氏曰く、”「師であることの条件」は「師を持っている」ことだと断言する。つまり、人の師たることのできる唯一の条件はその人もまた誰かの弟子であったことがあるということ。弟子として師に仕え、自分の脳力を無限に超える存在とつながっているという感覚を持ったことがある人だ。それは、無限に続く流れの中の、一つの環であり、長い鎖の中のただ一つの環にすぎないけれど、自分がいなければ、その鎖はとぎれてしまうという、そういう自覚と使命感を持っていることが師として唯一の条件である。”と。

僕はこの内田樹氏の意見に、全面的に賛同する。さらに、事例として映画『スター・ウォーズ』と『姿三四郎』の意味の相似性について言及している。曰く、”ジョージ・ルーカスは黒澤明の大ファンで、黒澤へのオマージュが随所にちりばめられています。『スターウォーズ』における中心的な師弟関係はルーク・スカイウォーカーとヨーダ、オビ=ワン・ケノービとアナキン・スカイウォーカー(=ダース・ベイダー)の二組です。おそらく元ネタは黒澤の『姿三四郎』です。矢野正五郎と姿三四郎の関係がヨーダとルークに、村井半助と檜垣源之助の関係がオビ=ワンとアナキンに投影されていると思います。檜垣は「村井は師とするに足りない。もう師匠から学ぶものはない」と思っているのに対して、三四郎は「矢野先生は卓越しており、自分が一生かけても師の域には及ばない」と思っている。これが二人の決定的な違いです。檜垣の自己評価はたぶん正確です。ほんとうに彼は強い。でも、そのせいで成長をめざす意欲に微妙な抑制がかかります。一方の三四郎は、師が「無限に強い」と思っているので、努力に限界がありません。どこまで強くなったらいいのか、わからない。結果的にこの開放性の差ゆえに、実力では上の檜垣に三四郎が勝ってしまう。「師を決して届かない境位にあるものとして仰ぎ見る弟子は、師の実力を正確に見極めることができる弟子よりも『のびしろ』において勝る」というのが師弟関係についての日本の伝統的な考え方です。ジョージ・ルーカスはこれに共感したのではないかと思います。”

僕は、柏木博からデザインと自制心を学んだ。波多野哲郎からは映画と冒険心を学んだ。そして、宇田一夫からはマーケティングと醉心を学んだ。3人の師に共通するのは、継続性と謙虚、その背後にある道義性だ。道義性とは、物事の公正さと明るい可能性を信じることのできる精神のことである。まだまだ学び足りないことばかりで教えを請いたいのだが、残念ながらお三方ともすでに鬼籍に入られた。だからこそいまの僕の役割は、残された時間、つながる鎖の環の一つとして、次の世代にこれらの学びをつないでいけたらと願っている。

【お知らせです】
今年は少し早めの(来週、父の十三回忌のため帰省)GW休暇をいただきます。ファンサイト通信は4月19日(金)4月26日(金)5月3日(金)の3回、お休みさせていただきます。次号開始は、5月10日(金)からの配信予定です。引き続きご高覧のほど、よろしくお願いします。

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