第1042号『運転免許証自主返納のこと』

2年前のことだ。銀行で書類提出時、免許証の提示を求められた。「70歳で運転免許を自主返納したんで、代わりにこの運転経歴証明書(運転免許証のように身分証・本人確認書類として有効期限一生涯利用できる)でもいいですか?」と、聞いた。すると行員から「大丈夫です。でも、随分早く返されたんですね。」と言われた。

今回は、運転免許証返納のいきさつを話したい。

僕はゴールド免許だったので、更新すれば75歳まで免許を保持できた。でも、「もう車の運転はいいや」と思った。ところが、いざ免許を返納する日が近づいてきて、心の中に2つの思いがたち現れた。

1つ目は、免許がどうしても必要だった若かりし時の思い出だ。僕は新社会人として、調布染地にあった日活撮影所で働いていた。当時は、日活ロマンポルノ全盛期。入社後、監督の送迎やロケハンなどで運転免許は必須だった。しかし、学生時代のある出来事で免許証を失効して以来、持っていなかった。その理由はまた別な機会に。そこで、暇を見つけては撮影所の敷地内にあった銀座の街並みの一角を模したオープンセットで練習した。壊れていたが信号機、S字カーブも、ちょっとした坂もあり、自動車教習所とほぼ変わらない練習場(公道ではないので違法にはならない)だった。このセットの街は、石原裕次郎や小林旭や浅丘ルリ子などを配して製作した青春路線作品を多作していたころの残骸で、ほぼ廃墟の街状態だった。数週間後、練習を重ね府中運転免許試験場で試験を受けた。しかし、一発合格とはいかず落第。周りからはずいぶんと叱咤激励された。そして、2度目。なんとか合格し、免許を手に入れることができた。この時は嬉しいというよりは、これで周囲からドヤされず仕事ができると、ほっと胸を撫で下ろした。

2つ目の思いは、免許を手放したくないという70歳の自分の姿だった。なぜ手放したくないのか。買い物や、移動に不便になるからとの理由は勿論ある。しかし、それ以上に本質なことは、車を運転することで僕は世間とつながっている。そして、まだまだ自分は運転(ドライブテクニック)でも現役だ。そのプライドと運転できる権利が失われるのは不愉快なことだ。だから、車も免許も手放させない、と。そんな不安と苛立ちが芽生えた。

23歳の僕は、仕事でどうしても必要だから撮影の合間に周囲からのプレッシャーを受けながら、がむしゃらに頑張って運転免許を取得した。そして、70歳の僕は薄っぺらな自尊心と、手にしたものは何一つ失いたくないという我欲で免許返納を拒んでいる。

もう一度、運転免許証を返す理由を考えてみた。

・僕には、老後に向かって車を維持し続けるだけの経済的な余裕はない。保険料、車両税、駐車場代、ガソリン代、車検料など、考えるとクラクラしてくる。

・いま住んでいるエリアでの移動や生活全般に車が無くても、特段不便を感じない。例えば、約束があっての移動時、車に比べ渋滞などの不測の事態を避けられる電車での移動のほうが遥かに正確に時間どおり到着することができる。

・他のものを犠牲にしてまでの車好きではない。妻も僕もお酒好きなので、休日どこかに出かけた折には、ほぼ会食し酒を交わす。もし、車での行楽だったらどちらかが我慢することになる。これでは折角の楽しみが半減してしまう。もはや、車でなければ行けないような秘境に行くことも、全て見尽くさないければとの野心もない。結果、バスや電車といった公共交通機関での移動で十分に楽しめる。

こうして、僕は運転免許という国家から取得した権利を返し、冷静な判断のできるシニアとしてのふんべつを手に入れた。

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