第11号『間を読む』

漠として掴み所のないものを見えるものにすることが「間」である。
と教えていただいたのは日本エディテースクールの佐藤敬之助先生からである。
先生は東京大学で動物学の勉強をされたあと京都の寺院で見習い僧としてしばらく過ごしていた。 その時写経に出会い文字(レタリング)の世界に入ってこられた方である。

「間」ということばの古語は門構えに月と書く。 門扉の隙間からこぼれる月の光の亡羊とした様をいうのだと。 カタチとして確固としたものではないが、たしかにそこにある「もの」
それが「間」である。

雑誌の紙面、ポスター、などデザインされた多くのものは文字と図 (写真やイラスト)によって構成される。 しかしそこにもう一つカタチこそないが、白い「間」という「もの」があるのだ。 その「間」を上手く掴み緊張感ある構成に仕上げていく技量を身に付けることがデザイナーとしてものになるかどうかの分水嶺である。 ということも教えていただいた。

「間」はさまざまに使われる。
「間」がいい。「間」が悪い。「間」を空ける・・・

スポーツの世界でもこの「間」の掴み方の上手い選手を名選手と呼ぶことが多い。 身体能力(走る、飛ぶなど)だけとればその世界で一番勝れているわけではなが、上手い。 彼らは全体を観ながら競技場の空間の中で自分がどこにいるべきなのかが見える。 だから次の自分の行動にムダがなく動ける。

サッカーの中田、ラグビーの平尾、ベースボールのイチローなどそうしてみると合点がいく。 (しかも彼等はこれまでにない独自のスタイルを作り上げる想像力にも優れている)

恐らくこのことはビジネスや政治の世界にも当てはまることなのだろう。 漠として捉えどころのない今の日本というフィールドのなかで自分がどこに立つべきなのか。

いま新しい「間」の読み方が始まっている。

追伸
ワールドカップ始まっちゃいましたね。
ドキドキして、ついついご近所にまで届くような大声あげて応援しています。

頑張れ日本!!!

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