対戦相手チームの本拠地で戦う試合をアウェーゲーム、それに対し、自分たちの本拠地での試合をホームゲームと呼ぶ。
アウェーとはつまり敵地で戦うことである。
だから、応援にしろ気候にしろ食べ物にしろ全て条件が悪いということである。
その、実例を見た。
2002年10月26日。
アナハイムにあるエジソン・フィールドで行われたアナハイム・エンジェルス対サンフランシスコ・ジャイアンツのワールドシリーズ第6戦である。
ここまで3勝2敗とし、この試合を制すればジャイアンツが優勝となる。
野球選手として数々の栄誉と名声を勝ち得ているバリー・ボンズにとって、いまだ手にしていない勲章、それがこのワールドシリーズでのチャンピオンリングである。
そのボンズが5回に目の覚めるような鮮やかな本塁打を放ち、5対0とワンサイドゲームの展開を見せ、ジャイアンツの勝利がほぼ決まったかに思えた。
しかし事態は急変する。
6回裏エンジェルスの打線が爆発し、瞬く間に逆転。この試合をモノにした。
そして、翌、第7戦も勢は止まらず、勝を収めた。
予想では万全のピッチャー陣とバリー・ボンズをはじめとする強力な攻撃陣を擁するジャイアンツが圧倒的に有利とされていたにも係わらず、こうして万年弱小チーム、エンジェルスが、2002年のワールドチャンピオンに輝いた。
なにがこの逆転劇を生んだのか?
若手中心のエンジェルス選手が波にのり活躍したこともある。
押さえの投手陣の踏ん張りもあった。
しかし、なによりもジャイアンツにとってアンラッキーだったのは、そこがホームグラウンドのパシフィック・ベルパーク(SBCパーク)ではなく、アウェーのエジソン・フィールドだったからだ。
スタンド席45,000。
その99,99%がチームカラーのエンジェルスレッドで埋め尽くされていた。
ボンズがホームランを打とうが、ジャイアンツ野手陣が華麗なグラブさばきを披露しようがシーンと静まり返っている。
一方、自軍が活躍すると大歓声とともにセンター後方のスタンドに設置された岩場の舞台から花火が盛大に打ち上げられる。
声援はすべてエンジェルスに向けられる。
こうして、ファンとエジソン・フィールドがこの第6戦目を勝たせた。
プロ野球の近鉄とオリックスの合併を契機にオーナー会議で1リーグ制に向かう動きが明らかになった。
事情説明を求め、プロ野球選手会の古田敦也会長が読売ジャイアンツの渡辺恒雄オーナーに会談を申し込んだ。
それに対し、渡辺オーナーは「無礼なことを言うな。
分をわきまえなきゃいかんよ。たかが選手が。」と返答した。
「たかが選手」は「たかがファン」も含む。
選手もファンも無視し、密室で進められる改革に共感が得られるはずがない。
考えてみれば、読売ジャイアンツはアウェーで戦ったことの無い世界で唯一のチームかも知れない。
なにしろ大方のファンはこれまで「テレビ」というホームスタジアムで戦う巨人軍を見続けてきたのだ。
こうして、顔の見えないファンを相手にし、読売ジャイアンツを取り巻く他球団が1リーグ制だろうが2リーグ制だろうが、たいした問題ではないし、不動の人気を持続し得ると踏んでいるのだろう。
野茂から始まった一流選手の海外流出。
Jリーグによる新潟や仙台、大分など、プロ野球のない地域での地元密着型運営の成功。
いまスポーツを取り巻く環境は思いの他、速く激しく変化している。
だから、ある意味、アウェーで戦うことになるオリンピックではどうしても勝たなければならない。
真の実力が試されるのはホームではなく、アウェーの方だからだ。
勝たなければ、グローバリゼーションスポーツとしての「ベースボール」ではなく日本独自の「野球」として、衰退の道を歩むしかなくなる。
それは、野球に止まらず、日本のスポーツ全体が抱える問題でもある。
心から応援し、育ててくれるファンとともに歩むプロスポーツとして、野球が生まれ変わることを願わずにはいられない。
だから、あえてオリンピックでの日本の野球の敗退を望むのも1つの見識ではないか。