第121号『ブーム』

時々は料理のまねごともする。
とは言っても、たかだか麺を茹で、出来あいの缶詰で味付けをしてワインと一緒に腹に流し込む程度のものである。
パスタのソースを探しに、近所のスーパーに出かけた。
缶詰のある棚をキョロキョロと見回す。

そこに、ほとんどその存在さえ忘れかけていたモノを発見した。
数年前、一世を風靡した「ナタデココ」である。

今では、かつてナタデココブームが存在したということと、その製造設備に大きな投資をしたフィリピンの製造業者が破産したというニュースが微かな記憶として残っている程度である。

多くの人々を魅了した商品やブランドが、ある日を境に、まるで潮が引くように見向きもされなくなる事態をこれまでいくつか目撃してきた。

例えば、ティラミスが。
例えば、たまごっちが。
例えば、たまちゃんが。

そして、そうしたモノやコトがいつしか話題にも上らなくなる。

ブームとは、商品のもつ意味や背景を置き去りにし、記号としてそのモノやコトを消費することである。
しかも大方はマスコミなどの情報に煽られ、爆発的な消費の広がりを伴う。

その商品が好きだからとか、必要だから手に入れたいのではない。
ともかく、どうでもいいから手に入れたい。
つまり、手に入れることが目的となる。
だから、手に入れてしまえばそれで興味と欲望は満たされる。

まるで、強風の最中に火事になった木造家屋のように火の手が瞬く間に広がりメラメラと燃える様に似ている。
そして、焼け跡には何も残らない。
あとは寒々とした風が通り抜けていくばかりである。

消費を享受し、豊かさを満喫している私たちが、どうしても消費という仕組みから逃れることが出来ないとすれば、せめて扇情的なブームという中身のない記号の消費からそろそろ自由になることが必要だと思う。

そして、その方法があるとすれば、本来その商品がもっていた便利さや美しさや美味しさといった意味に立ち返ることではないか。

今晩は、パスタにワイン、そしてデザートにナタデココを添えてみるか。
あのコリコリとした食感を楽しみに・・・。

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