はじめての海外旅行の地はローマだった。
いまから30年も前のことである。
空港からタクシーに乗り、ホテルへ向かう。
車窓からの眺めは、例えば、「ローマの休日」、例えば「フェリー二のローマ」を観ているようで、すべてが映画のワンシーンのように見えた。
町に入った時は、もうすでにとっぷりと夜の闇に包まれていた。
タクシーを降り、細い石畳の道を宿まで歩く。
ともかく暗い、そして建物がやけにくすんで見えた。
そして、道に犬の糞がやたらと多い。
そんな印象だった。
翌日、町を探索する。
コロッセオ、スペイン広場、トレヴィの泉・・・
デザインや美術を専攻にしていたこともあり、まるで博物館や美術館の作品を鑑賞するがごとくローマの町を見入った。
当時デザインの先端といえば、イタリアンモダンだった。
例えば、ニューヨーク近代美術館のパーマネント・デザイン・コレクションにもなったオリベッティ社のタイプライター「ヴァレンタイン」のデザインで知られるエットーレ・ソットッサスやマルチェロ・ニッツォーリなどがその代表格だ。
しかし、どこを探してもイタリアン・モダン・デザインなど見当たらない。
町は、どこもかしこも、ゴシック様式とルネッサンス様式の建造物や調度品に埋めつくされていた。
お茶を飲んだり、本屋に入ったりしながら、しばらく町を徘徊した。
そして、ついに見つけた。
それは、古典的な装飾品と革製品の店が軒を連ねた商店街の一角にある、小さな事務機器店のショーウィンドウにあった。
軽やかで、浮き立つような赤に彩られたオリベッティ社のタイプライター、「ヴァレンタイン」が飾られていた。
まるで黒の礼服に身を固めた麗容な婦人の襟から、僅かに見える深紅のブラウスのようにも思えた。
なるほど、古典の分厚い歴史と重みがあってこそ、モダンは活きるのだ。