曇り空の日曜日、紅葉を観に皇居まで歩いた。
浜町から小伝馬町、神田を経由して皇居まで普通に歩けば、およそ1時間でたどり着く距離である。
休日のオフィス街はまるで、役者のいない映画のセットのように、物音もせず静まり返っていた。
見慣れた「東京」ではなく、なにか異空間に紛れ込んでしまったような錯覚におそわれた。
ふと、迷子になってみたいと思った。
知らない角を幾つも曲り、聞き覚えのない路地を通る。
ちょっと不安でドキドキするけれど、次の角を曲がると、どんな風景に出会えるのかとワクワクも、する。
気がつくと、まるで街はひとつの大きな森のように見えてきた。
「都市を歩いていて、目的の場所にたどり着かないことが重要だというのではない。
しかし、都市で道に迷うと、森でそうなったときと同様に経験や知識が要求される。
通りの名は、枯れた小枝の折れる音のように都市の放浪者へと語りかけ、そして、迷い込んだ都市の路地が山の谷間の表情のように、そこを歩いた放浪者の記憶を呼び起こしてくれるのだ。」
ヴァルター・ベンヤミン『ベルリンの幼年時代』
こうして、都市という森を彷徨いながら、歩くこと2時間。
ビルの谷間から、薄日に光るお堀の水面と、赤や黄に色づき始めた秋の森が見えてきた。