吉田修一著、『悪人』(朝日新聞社刊)を読んだ。
地方都市で起きた殺人事件と、それに関わった人々の行動と思いを丹念に描いた群像劇である。
物語は九州、福岡市と佐賀市を結ぶ国道263号線の三瀬峠から始まる。
そして、この峠で短大出の女性保険外交員が殺される。
彼女は、事件の起こる夜、同僚二人と中洲の餃子店で食事をしたあと、かつてバーで知り合った大学生と会うと言って二人と別れる。
だが、彼女が会う約束をしていたのは、大学生ではなく、出会い系サイトで知り合った長崎に住む土木作業員だった。
そして、虚栄心から出たちょっとしたウソと行き違いが、悲劇を生んだ。
しかし、この小説は、単なる犯人探しのサスペンスでは終わらない。
この、行き違いをさらに揺さぶるような関係を見せる。
それは事件後、加害者と出会う、紳士服量販店に務める女。
さらに、加害者を育てた祖母、被害者の父母らと、作者はたえず登場人物の行動と心の動きを高みからではなく平行な目線で捉え、つぶさに描写している。
行き場のない焦燥感と寂寥感。
根拠のない傲慢さと憎悪。
もがいても、もがいても、見えてこない希望。
本当の悪人とは誰なのか。
巧みな表現力も然ることながら、結末に近づくにつれ、その根底に隠されているなにかを引きずり出そうする圧倒的な筆力に驚かされた。
この物語は、今や、どこにでもある地方の風景の中で、ちょっとした弾みさえ付けば、いつでも、誰にでも起こりえる凡庸な事件である。
先日、NHKで35歳を対象に、一万人にアンケート調査をした結果が放映されていた。
設問の1つに「将来、自分の生活がいまより豊かになるか?」という問いがあった。
良くなると答えた数、わずか15%。
小説、『悪人』は極めてリアルなフィクションである。