ビクターエンタテインメントのプロデューサー、牧元裕之さんとの待合せで、谷中にある料理屋に向かった。
はたしてこの道で間違いないのかと、少し不安なりながら、地図を片手に15分ほど歩く。
街灯も疎らな細い路地沿い、藍染めの暖簾に「みぢゃげど」の白抜き文字を見つけ、くぐった。
縁あって、ある日、牧元さんと酒を酌み交わした。
僕が津軽の出身だと告げると、「みぢゃげど」って店を知っているか、と問われた。
記憶が一気に甦った。
津軽郷土料理店「みぢゃげど」は今年32年目。
津軽ことばで「みぢゃ」は水場(台所)「げど」は道の意である。
女将の北澤美枝さん、旧姓、石場。
石場家は津軽藩の御用商人として、わら製品や、津軽一帯の魚市場を仕切っていた。
弘前城の裏手にあるご実家は、現在、国の重要文化財でもある。
その直系の長女として、石場家代々の台所の味を受け継いだ。
だから、正確に言えば津軽料理であり、且つ石場家の振舞い料理ということになる。
食材はすべて津軽からの取り寄せ、水も岩木山の伏流水を使っていたというが、さすがに今は、その水の味にちかい富士山の伏流水を使用しているという。
口にする一々が、紛れも無く、かつて食べたことのある味の記憶を甦らせる。
ひょっとしたら、地元の津軽でも、この味を再現できないし、味わえないのではないか。
その石場家の味をいまは、女将からお孫さんが守り受け継ぎ、板長として腕を振るっている。
じつは二十数年前、従兄弟と、この店に来る機会があった。
従兄弟の結婚相手が、女将と従姉妹という関係にあり、挨拶に伺うはずだった。
理由は忘れたが、その折の訪問は叶わなかった。
それ以来、従兄弟との酒の席で、今度「みぢゃげど」に連れていくからと、何度か空約束が交わされた。
その従兄弟も亡くなり、「みぢゃげど」は幻の店として頭の中から忘れ去れていた。
そして、この日、遂に僕にとって幻の店「みぢゃげど」の席に座ることができたのだが、不思議なことに初めて、という気がしなかった。
ずっと昔から変わらないものの心地よさ、味も、女将との津軽弁での会話も。
それは、酒で酔ったせいばかりではないと、感じた。